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アフロ仏像や地蔵と呼ばれていますが間違いで、正しくは五劫思惟阿弥陀如来坐像と言います。
約160kmの大岩に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなる事を5回繰り返す間、衆生を救わんと思いをめぐらせて修行をされた結果、髪が伸びた様子を現しています。
「善哉善哉(ぜんざいぜんざい)」とお釈迦様が弟子を褒め讃える時に使う言葉でした。
これがお汁粉を指すようになったのは、トンチで有名な一休禅師が小豆を煮てお餅を入れものを食べたところ、「善哉善哉」と大いに褒めからと言い伝えられています。
自分なら天下一品のラーメンが善哉になってますね。
昨日は直書き会に多くの方に来ていただきありがとうございました。
不慣れな為お待たせしたり、十分にお時間を取れない事もあり申し訳ありませんでした。
今回の反省点を踏まえて、次回に活かしていきたいと思います。
時期は未定ですが決まり次第お知らせいたします
関西の子供言葉なので地域によってはご存知ない言葉かも知れませんが、「まんまん」とは「南無阿弥陀仏」もしくは仏様そのものを指します。
「あん」は「あな尊し」に由来し、仏様に手を合わせて拝む時に使います。
更に短く「あん」とも言い、「仏さんにあんしてきぃ」のように使う事もあります。
お釈迦様が亡くなられた時、頭を北に顔を西に向け右脇を下にしていた事を「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)と言います。
以後、僧侶が亡くなった際この姿勢に倣うようになり、時が経つにつれ頭を北に向ける事イコール人が無くなるという意味になって、縁起が悪いとされるようになりました。
物事の移り変わりを「四相」と言い、誕生する事を「生相」存在を「住相」変化を「異相」消滅する事を「滅相」としていました。
「滅相」が尽きると命が消えてなくなってしまうという事から、「とんでもない」という意味から「滅相もない」」という言い方をするようになったのです。
現在では病人の面倒を見る事を意味しますが、本来は僧侶が病人のために念仏を唱えたり仏法を説いたりすることによって病の苦痛を和らげるという、治療行為そのものを言いました。
中国語では今でも「看病」は病人の面倒を見る事ではなく、治療してもらう事を言うそうです。
過去・現在・未来の三世(さんぜ)の事を現します。
仏教では時間というものを実体として扱わず、存在するものの変遷として捉え、過去は現在の原因。
未来は現在の結果と考え、あくまで現在が重要なのだと説いています。
日常ではあまり聞きなれない言葉ですが、森鴎外の作品に二度使われています。