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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)さんのイラストまとめ


戦争、差別、排外主義、表現の自由弾圧に絶対反対。目標は戦争回避。代表が自腹で長野県を中心にした戦時下資料を収集し、ネットと出版、展示会で戦争が庶民を巻き込む実態を伝えていきます。政治的思想的団体と無縁の有志の手弁当の活動ですので、ご注目、ご支援願います! note.com/sensou188/
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1933(昭和8)年ころの松筑自動車改め松本自動車沿線案内。写真や温泉、山岳といった観光地の説明以上に迫力の鳥瞰図!が素晴らしい(*´ ω`*)

松本市街地にはお城と並んで歩兵第50連隊と県営運動場も。連隊は名所でもあり目的地でもあり、外す理由はないでしょう。展示会でじっくりお楽しみください。

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116年前の今日、1904(明治37)年4月26日発行の日露陸戦画報其六-我征攻軍定州城占領之図。同年3月28日に発生した最初の陸上戦闘で、朝鮮領内に入ったロシア騎兵への攻撃です。日数は経過していますが、イメージ画の域を出ません。ただ、当時はこうした版画が人気で、よく売れたといいます。

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出征兵士の家族に野州町援護会が寄贈したらしい、武運長久を祈る食器。兵士の無事を祈るための陰膳に使ったのではないかと。ご飯、お菜、漬物を盛ったのでしょう。

長野県の出征兵士が終戦で無事戻って迎えた年末、こんな句を詠んでいます。

「陰膳の 今年は無くて 晦日の日」

嬉しかったでしょう…

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長野県農業会が1947(昭和22)年に発行した画集「信濃の祭」は、1945(昭和20)年1月から取り組みが始まっています。終戦前の7月まで18点が戦時下の場面ですが、平時と変わらぬ伝統行事を続けていた様子が分かり、感動しました。たとえ国威発揚を狙ったとしても、途切れさせない心意気が嬉しい。

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78年前の今日、1942(昭和17)年2月8日の朝日新聞。ジャバ沖海戦など戦果が踊る紙面の中に、長野県出身の飯沼正明飛行士戦死の記事が。実は地上での事故死でしたが、機上での敵弾による戦死と喧伝され、紙芝居もそのように。戦意高揚の捏造を報道させられたのでした。

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長野県の松本市にあった歩兵第50連隊の兵営の図です。現在は信州大学、医学部付属病院になっています。兵営図はいくつか種類がありますが、1908(明治41)年印刷のこれはほぼ正確なうえ、鳥瞰図になっていて見やすく、よい資料です。こういうのがあると、兵営の写真の解読にも役立ちます。

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78年前の今日、1941(昭和16)年12月18日、専売局が新しいタバコ「鵬翼」を発売。高級志向の光と大衆向けの金鵄の間との位置づけ。日本軍の躍進にちなんで売り出したものの、他のタバコと同様値上がりが続き無色になり、戦時中に生産も打ち切られます。前日の朝日新聞掲載記事を合わせてご覧ください。

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82年前の今日、1937(昭和12)年11月16日、長野県の地方紙信濃毎日新聞社の支那事変大展覧会が始まりました。地元の松本50連隊から遠山部隊が出征、長野県出身の細見戦車隊が活躍するなどの話題もあり、連日大盛況だった様子。出征兵士の動向が県民の一大関心事だっただけに、軍と連係は不可欠だったか。

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115年前の今日、明治37(1904)年4月26日発行の浮世絵版画「日露陸戦画報其六 我征攻軍定州城占領之図」。宣戦布告は2月10日。3月28日に発生した日露両軍最初の陸上戦闘を描いています。朝鮮領内に入ったロシア軍騎兵との衝突でした。日露戦争では、まだこうした雰囲気で伝える版画が大人気でした。

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長野県でも県会議員選挙がありましたが、投票率は過去最低の47.57%。政治に向き合うには、生き死にが掛からないと真剣になれないのかなーと感じた所、小林多喜二の蟹工船の一節を思い出しました。昭和4(1929)年発行の戦旗掲載の蟹工船後編からどうぞ。伏せ字は「殺」です。

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