マヤの暦・人生の自由研究さんのプロフィール画像

マヤの暦・人生の自由研究さんのイラストまとめ


職業:金融系システムエンジニア
bit.ly/3y369jS

フォロー数:0 フォロワー数:331

照明技師故安藤真之助さん資料。原せつ子さん、四歳で関東大震災に遭遇し、自然災害の恐怖が脳裏に。小学校時代は三歳年上の姉と仲良く、女学校も姉と同じ横浜高等女学校に。姉は卒業後に経済上の理由で就職、節子さんも二年で中退し就職を決意。女学校入学時の希望は小学校の先生、映画の役で実現。

0 3

1963年の大槻義一 監督映画『七人の刑事』。松竹入社間もない中村晃子さんが茶目っ気たっぷりのラーメン屋の店員役、香山美子さんが貫録のある落着いたコールガール役に。1960年代の東京の風景を堪能、豪徳寺付近の小田急線、三軒茶屋付近の玉電、渋谷のハチ公広場、桜田門、横浜、地下鉄銀座線など。

1 0


「クリスマスプレゼントを靴下に入れるのは、金貨が干してある靴下に入ったから」。日本ではサンタクローズが明治33年に文献に、昭和30年代クリスマスケーキやクリスマスプレゼントが定着。昭和31年の江利チエミさん主演映画『サザエさん』でも家庭でクリスマスパーティの風景。

0 0

テレビ番組『私がつくった番組 マイテレビジョン』(1972年)、第14回「鰐淵晴子の青春テレビ」。「天才少女バヨリニスト」、「原節子の再来」と評された鰐淵晴子さん。人気絶頂で結婚も1年後に離婚、芸術的なヌード写真集が話題に。27歳の出演で映画やドラマ出演の青春を赤裸々に自分の言葉で語る。

1 1


10月5日に93歳で逝去。撮影監督、松竹に入社し小津安二郎監督映画の撮影助手を経て、大島渚監督『日本の夜と霧』や野村芳太郎監督『ゼロの焦点』などの映画で撮影監督を担当。初期映画『黄色いさくらんぼ』、オープニングや流行歌に乗せた場面やロケの俯瞰、『砂の器』の流れる画面は印象的。

2 1


田園風景の中の婦警の中の彼岸花が見頃の文京区小石川後楽園から中継。「彼岸花の葉っぱ?」、” 無い”,”開花の直前まではあった ”,”花びらが散った後に生えてくる”。正解「”花びらが散った後に生えてくる」。 映画『母の地図』、戦前の昭和17年頃の小石川後楽園付近の風景、市電の勇士。

0 0

1937年の山本薩夫監督映画『母の曲』。元女工の母(英百合子さん)は上級社会に馴染めず、娘(原節子さん)の将来を案じ、夫(岡譲二さん)の元恋人(入江たか子さん)に託し去り、娘の幸福を。情緒さを抑えた英百合子さんと母を慕う健気な原節子さんが印象的。山中湖や最後の結婚式が東京会館でロケ。

0 2


「月にうさぎがいるの」は「うさぎは自分を犠牲にしてでも人を救おうとする美しい心の持ち主だったから」。インドの仏典「ジャータカ」のうさぎの説話が日本に伝来時に月がうさぎに見えたことと相まった結果と。映画『月世界旅行』(1902年)で月は人間の顔でロケットで瞳にキス。

1 0

1939年の山本薩夫監督映画『街』のロケ地探訪。目白駅と高田馬場駅間の山手線沿いの椿坂と学習院。大日方傳さんが自転車でを走る場面は小島善太郎画伯「目白駅より高田馬場望む」(1913年)と26年の歳月の差で構図はほぼ同じ。北沢彪さんと原節子さんが大日方傳さんに声を掛けるの場面は学習院敷地。

2 0


1958年の原田治夫監督映画。大学ラクビー部3人と社長令嬢、シャンソン芸者、下町娘の恋を巡る喜劇。昭和30年代の東京の風景、「常盤橋公園」「柳橋」「東京証券取引所と兜橋」など。1939年映画でトラスト橋の兜橋を市電走行、1946年で都電廃止、1957年に現在のゲルバー桁橋に架替え。

0 0