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もう1つは、砲兵隊の運用方法である
シャルルはノイス近郊における帝国軍との野戦(1475)において、本軍とは別個の機動部隊として砲兵隊を用いている
一方、マクシミリアンは中央の歩兵隊に組み込んで配置している
これは恐らく、中央に砲列を敷いたフランス軍への迎撃のためだろう→
rkgk
神聖ローマ帝国内における外来有力諸侯4人(1470年代)
左からデンマーク王クリスチャン1世、ボヘミア王イジー・ポジェブラド、ブルゴーニュ公シャルル、ハンガリー王マーチャーシュ1世
ブラッドモアの技術もすごいが、右目にランスが刺さったフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ、首(恐らく喉)を斬られたシャルル公の治療に当たった外科医達も相当な腕前だったのではないかと思う
全部もうちょいで死ぬケガ