心寿様は卒業後も親交のあった鳦様から大和襲撃の連絡を受けたものの、自らの体では足でまといになってしまうと思い、自慢の後輩達ならきっと討伐出来ると信じ、大和へは向かいませんでした。しかし、数日後に届いたのは修學館壊滅の五文字でした。

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卒業されて故郷の福岡に戻っても、苦しいリハビリの日々が続きました。今でこそ細かい作業以外は機能回復されましたが、卒業当時は歩く事もままならなかったそうです。そんな時期に起こったのが「大和国中襲撃戦」でした。

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そんな斎子様に心寿様は「生きてたら何度でもやり直せる。新しい事にも挑戦出来る。命があるだけ幸せなんだ。初瀬さんは命の恩人なのだから、堂々と皆を引っ張ってくれ」と励ましたそうです。
卒業までの半年間はリハビリに苦しみながらも、凰主誕生の瞬間を見守られていたそうです。#大和修學館女學校

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3年時の大怪我の影響で、心寿様は右半身に重い麻痺が残ってしまい、他の同期よりも早く巫としての任を退くことになりました。当時軍配賢将であった斎子様は、自らの采配ミスで心寿様を傷つけてしまったと深く心を痛められたそうです。

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心寿様は先代頭将の鳦様と同室の仲であり、#大和修學館女學校 最後の卒業生の一人です。言葉数の少ない方でしたが、後輩想いの優しい方だったそうです。特に一期を共に軍配として戦った斎子様や、自らの跡を継いで副将となった繭彌様のことは、とても可愛がられていました。

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本日は、#大和修學館女學校 先代軍配副将であり、現在は で防人部の顧問をされている新原心寿(しんばる・みこと)様をご紹介します!
レアスキルはフェイズトランセンデンスで、精密なCHARM捌きと豪快な戦場打開を得意とするデュエリストでした。

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全面的に斎子様を支持していた七奈子様ですが、斎子様が不本意で決めた事や、自らを犠牲にし過ぎる態度には苦言を呈する事もありました。また「いつか斎子とただの幼馴染に戻る」という夢は、七奈子様のもう一つの大きな夢でもあったのかもしれません。

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七奈子様は、巫となる前は教師になるのが夢で、修學館を卒業した後は一般の大学に進学する予定でした。その夢があったからか、頭将という忙しい立場でありながら、後輩巫への指導に熱心に取り組まれ、とても人望もあったそうです。

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中でも副将の繭彌様とは、同じ頭将の座を競い合った良き好敵手として、信頼し合っていました。また、大和国中襲撃戦で繭彌様が倒れた際は、「凰主と一緒に、妹に必ず届けに行ってくれ」と形見のリボンを託され、同時に彼女を看取ったのも七奈子様です。

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「私はずっと斎子の隣に立ち続ける。その場所が軍配頭将なら、私は頭将になる」この言葉の通り、七奈子様は着実に頭将への道を突き進んで行きました。その一途な向上心は同期や先輩、後輩にも大きな影響を与えました。

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凰主となる事がほぼ確定していた斎子様とは異なり、七奈子様は神祇会職員の父を持つ事以外は、他の巫と何ら変わらない立場でのスタートでした。時には斎子様以上に他の巫から冷やかしや奇異の目で見られる事もあったそうですが、全て実力で捩じ伏せて来ました。

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本日は、#大和修學館女學校 で軍配頭将を務められた守屋七奈子(もりや・ななこ)様をご紹介します!✨
レアスキルにレジスタ、サブスキルにAwakeningを取得されています!経験者ですら茨の道である軍配頭将への昇級を、歴代で初めて未経験者で達成した偉業を持つお方です!

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ちなみにあすか様は籠球部、卯月さんはツリーでも述べたように雅楽部→地域交流部に転部されました。理由としては、地域交流部の主な活動である地域訪問を凰主様も担当されていた為、凰主様のお力になりたいと思われたからだそうです。
https://t.co/dq85IIKFml

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雅楽部に並ぶ人気を誇るが神道研究部ですね!この部の顧問を務めていたのが額田あかね先生です。これは偶然だと思うのですが、雅楽部に文化委員の人が多いように、神道研究部には学年委員が多いと言われていました😅

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部活動の中でも人気が高いのが雅楽部で、この部のみ入部試験があります。経験者はもちろん、文化保護への理解が深い人が多く、合わせて文化委員に属する人も多いですね!卯月さんも一時期雅楽部に入部してましたが、その後諸事情で地域交流部に転部されました。

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