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湘南、茅ヶ崎の日常は、心きらめく非日常
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「私たちは青春に飢えている ~茅ヶ崎ハッピーデイズ!~」
第75回『エモーショナル相模線』を公開いたしました!
イラスト:源まめちち
写真:イラストの場所から見た初日の出
#narou #湘南 #茅ヶ崎
JR東日本205系もかなり数を減らしてきています。オリジナル顔、メルヘン顔、相模線顔、先頭改造顔と転属や譲渡で塗装も種類も多彩です。
京浜東北線、根岸線、山手線、埼京線、八高線、川越線、横浜線、京葉線、武蔵野線、南武線、中央総武線、鶴見線、仙石線、日光線、宇都宮線、富士急、ジャカルタ
さあてえ、そんじゃあ並べっか。厚木駅定点観測。右端に映り込んでいるのは厚木駅旅客ホーム。画像手前側に相模線線路、奥側が神中線の電化線が並んでいると承知あられたい。1950年、神中線の元身延100+元伊那のサロハユニフ。相模線は戦時型C11+14100。
前2社と異なるのは、その営業戦略であった。京奧も霜鉄も他社の領地を掻っ攫って自社の勢力範囲を拡大する謂わば攻めの戦略であった。一方の汚濁湯は空白地帯に他社を入れない為の防御的な戦略であって、獲得後の汚濁湯相模線は非電化のまま、余り手の入らない路線と化していたのであった。
続いて霜鉄が名乗り出た。これは当然で、相模線は霜鉄の旧の本線に当る。双子の鉄道が一本に纏まり、兄貴は国の保護の下で飲んだくれている間に弟は勤勉に働き今や準大手私鉄と称されるまでになった。ロクデナシの兄貴を引き取る積りがあったのだろう。いずみ野線の茅ケ崎方面への延伸も後押しした。
真っ先に声をあげたのは、意外や京奥電鉄であった。既に相模原線の橋本延伸が決まり、更に進んで津久井郡中野までの免許を得ていて鼻息が荒かった。橋本で接続する相模線を獲得できれば、県央の空白地帯を京奥色に染め上げる事が出来る。仇敵の汚濁湯に楔を打ち込む事になるのだ。
詰まり大手私鉄にとっては勢力の空白地帯であり、県央に残った最後の処女地であったのだ。そのDMZを南北に貫く酷鉄相模線が危機に瀕していた。砂利輸送は昔話となり、頼みの綱であった日産の自動車輸送も途絶えてしまい、後に残ったのは営業係数200後半の赤字線であった。
静岡から在来線。御殿場線、相模線、八高線を通り高崎へ。2日目に土合駅で衝動的に下車したばかりに、次の列車を豪雪の中4時間待つことになった。
それに伴い、当初予約していた高岡市のホテルをキャンセルして、上越市に宿泊した。
#みんなの狂った旅程を教えて
#土合駅
旧作「国鉄神中線」所載のイラストを最新バージョンでまとめる。厚木駅での相模線・神中線列車の邂逅をテーマにイラストを起こしたのがもう15年も前の話だ。これは旧バージョン。と言っても6年前のリペイント。旧旧画像は既にない。
日録0815 18切符の旅② 関東美術館めぐり 台風近づき近場に変更 相模線で平塚 市美で安野光雅展 独得の細密画 上野東京ライン小山までグリーン車奮発 下館美術館 江口寿史イラスト展 実物より美しい少女美の世界は胸キュン 帰途の酒は控え目 思えば終戦の日 申し訳ない