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よく中世の始まりは西ローマ帝国滅亡の476年と言われているが、個人的にはそうでは無いと思っている。何故なら476年以前から、一部を除き帝国属州だった場所にはゲルマン系国家が群雄割拠しており、皇帝ですらゲルマン人の将軍の傀儡でしか無かったので、滅亡した所であまり影響が無かったからである。
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
1053年、チヴィターテの戦いでロベルト・ダルタヴィッラが率いる3000のノルマン騎士は神聖ローマ帝国軍を撃破し、ローマ教皇をも捕虜にした。
この時期、ノルマン人の多くがキリスト教に改宗していたため教皇は10ヶ月後には解放されたが(続く
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
ビザンツ帝国最強の将軍ベリサリウスは一介の農民から身を興し、25歳で北アフリカ遠征軍司令官となりヴァンダル王国を征服
イタリア遠征も成功させ地中海は再び「ローマの内海」に。
僅か10年でビザンツ帝国はかつてのローマ帝国の半分を取り戻した。
もう私はここが重なってるようにしか感じられない…
神聖ローマ帝国の三十年戦争授業でやったんだけども、これが頭から離れてくれない…
プラハ…チェコ…国旗も合わさって…ああああ
#歴史知らない人が嘘だと思うけど本当の事言え
西ローマ帝国の崩壊によりヨーロッパは暗黒時代を迎えたと言われる。
しかし、こと冶金技術に関しては洗練されノルドやサクソンの優れた武器は中東へなど先進国へも盛んに輸出された。
高品質な鋼の武具が、ヴァイキングや騎士たちの強さを支えたのだ。
ロレーヌ十字の起源は、12世紀のハンガリー王ベーラ3世の紋章に遡るといわれる。ベーラ3世は即位前にコンスタンティノープルの宮廷に滞在していた時期があり、複十字は東ローマ帝国の影響があると考えられる。
#MencatArms Zodiac Starlight Knights 02
-TAURUS-
黄道12宮の2番目、金牛宮の猫。
ローマ帝国領を脅かした民族大移動によってヨーロッパの古代が終わり、中世が始まったと言える。
ケルト、ガリア、あるいは北欧のヴァイキング等の非ローマ的戦士として描いた。
#銀座ねこ集会展 Ⅲ
ジッタリン人
ゲルマンの一部族。4世紀頃ローマ帝国に侵入し、貢納という名目で略奪を行った。略奪後、住民に対し奪ったものを「そなたが我にくれたもの」と歌って示す慣わしがあったという。
(民明書房刊『いかす蛮族天国』より)
2世紀ローマ帝国軍 コルニケン(CORNICEN)喇叭手
百人隊の中でもコルヌと呼ばれる楽器を吹き命令を伝える重要な役割を担いました、毛皮が特徴的。描いたものと撮影したもの
「喇叭だけは何があっても絶対に離さない」
マルクス=アウレリウス=アントニヌス(ローマ帝国皇帝。著書「自省録」)
ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(1861年伊国統一せし国王)
とか覚えづら!と思うが
キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード
は長さぱないの!と思いつつ
覚えてしまうから、反復って超大事じゃの
#忍野忍
「異郷の森にて」
古代ローマ帝国 2世紀前半の補助兵(AUXILIA アウクシリア)の歩兵
ローマ帝国には正規軍の軍団(LEGIO)がありますがこのアウクシリアも活躍し広大な帝国には欠かせない戦力でした。装備はロリカ・ハマタ(鎖帷子)に楕円形の盾とかなり重装。
「追撃」
古代ローマ帝国 アウクシリアの騎兵隊アラ(ALA)1世紀から2世紀あたり
軍の花形である騎兵、この時代にはまだ鐙がなく馬術に長けた兵士から編成されました。ガリアの騎兵の活躍などが知られています
古代ローマ帝国 1世紀から2世紀あたりのアウクシリアの騎兵
Roman Auxiliary Cavalry
描いたものと撮影したもののまとめ。ローマ帝国軍の花形の一つ
古代ローマ帝国軍 2世紀の補助兵(AUXILIA アウクシリア)の歩兵
ローマの軍隊は正規軍である軍団(LEGIO レギオ)が知られていますが、広大な帝国を防衛するにはローマ市民権を持たないものからなる補助兵アウクシリアが欠かせませんでした。描いたものと撮影したもののまとめ。
1枚目 2世紀 ローマ帝国 第Ⅳ軍団(LEGIO)
2枚目 17世紀前半 ポーランド フサリア騎兵
3枚目 16世紀 関ヶ原 徳川家康公
4枚目 八十年戦争 スペイン帝国フランドル方面軍 スピノラ将軍
#平成最後に自分の代表作を貼る
1~2世紀のローマ帝国軍アウクシリア(補助兵)の騎兵 正規軍である軍団(レギオ)が主に重装歩兵であるのに対して騎兵は乗馬に長けた地域のアウクシリアが活躍することが多かったようです。
こちらもまだ描き途中ですが、撮影したもの(トラヤヌスの記念柱)とともに