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テレビ番組『私がつくった番組 マイテレビジョン』(1972年)、第14回「鰐淵晴子の青春テレビ」。「天才少女バヨリニスト」、「原節子の再来」と評された鰐淵晴子さん。人気絶頂で結婚も1年後に離婚、芸術的なヌード写真集が話題に。27歳の出演で映画やドラマ出演の青春を赤裸々に自分の言葉で語る。
自分にDIYのスキルがあれば、こういう感じの白痴のシーンを再現したスノーボールを作ってひたすらクルクル回したい。水とノリと発泡スチロールでできるそうだが、モリマと原節子にそっくりな人形を探してくるのが一番難易度高そうである。将来暇になったら作りたい。
1937年の山本薩夫監督映画『母の曲』。元女工の母(英百合子さん)は上級社会に馴染めず、娘(原節子さん)の将来を案じ、夫(岡譲二さん)の元恋人(入江たか子さん)に託し去り、娘の幸福を。情緒さを抑えた英百合子さんと母を慕う健気な原節子さんが印象的。山中湖や最後の結婚式が東京会館でロケ。
1939年の山本薩夫監督映画『街』のロケ地探訪。目白駅と高田馬場駅間の山手線沿いの椿坂と学習院。大日方傳さんが自転車でを走る場面は小島善太郎画伯「目白駅より高田馬場望む」(1913年)と26年の歳月の差で構図はほぼ同じ。北沢彪さんと原節子さんが大日方傳さんに声を掛けるの場面は学習院敷地。
1939年の山本薩夫監督映画『街』。木原邸宅から木原苑生(原節子さん)と荻野鞍馬(北沢彪さん)が散歩に出掛けた道は、旧近衛低跡地ではないかと推測。道の真ん中に二本のけやき(昭和末に喪失し現在は一本)は「近衛のけやき」。大正11年頃に売却されて再開発、高級住宅街「目白近衛町」として発展。
夏休みで戦前の原節子さん出演映画を再鑑賞。1940年の今井正監督映画『女の街』。出征した夫を待つ妻(原節子さん)がおでん屋開店で嫉妬や軋轢が生じるが夫の帰還で誤解も解消。電気パーマをかけ、サーバーでビールを注ぐ原節子さんの姿に昭和モダンの余韻。河岸で「大安売り」の悪戯の貼紙が背中に。
2005年”まるごとライブラリー「原節子」”特集で、当時テレビ未放送の1938年~1959年の24作品を3ヶ月間放送。個人的に番組宣伝が秀逸、表情豊かな原節子さんの映画の名場面を編集、BGMはヘンデルのオペラ「リナルド」から”私を泣かせてください”で格調高く。”色褪ることを知らない”の言葉が似合う。
1940年の山本薩夫監督映画『姉妹の約束』。医者の父が応招された岡村家が母親里子(英百合子さん)と三人姉妹(花井蘭子さん、原節子さん、若原春江さん)が協力して家を守る姿を明るく描く。次女役の原節子さん、珍しく勝気で男勝りの女性を好演、田園調布の坂道でボール投げ返す姿に新しい魅力発見。
杉葉子さん出演・ 成瀬巳喜男監督作品『めし』(1951) 主人公・原節子さんの妹役、実家で母(杉村春子さん)と暮らし、頑固な入り婿(小林桂樹さん)を立てる思いやりのある女性。フワリとしていて、とても印象的でした。ご冥福をお祈りいたします
皆さま、おはようございます。
今日は、昨年9月に95歳で亡くなった原節子さんのお誕生日。「東京物語」「晩春」…。銀幕と記憶の中で生き続ける名女優に、そっと思いをはせるわ。