俺たちのフェラーリ

3 8

FFTCGに収録されている零式のカードにはロベルト・フェラーリさんの描き下ろしもあります。



https://t.co/L99Wi4YYrd

7 8

コース上でフォードに対抗し得るフェラーリはペドロ・ロドリゲス,マリオ・アンドレッティ組の365P2だけになりました。この組み合わせはデイトナ24hでもフォード勢と戦い4位に入った車でした。

8 6

ラップ3分に落とし安定したレースを続けるシェルビーアメリカンチーム。ドライバー交代で降りた時、マイルズは満面の笑顔でした。自分とチームが育て上げたマシンははっきりとフェラーリより速い、勝てる、そう確信できたからでしょうか。

10 8

330P3のエントリーは3台だったので約束を守る気はあったのかもしれませんが、まあ無いものは無い。
このフェラーリの深刻なお家の事情はル・マンでも影を落としますが、それはさておき ついにワークス同士のフォードVSフェラーリ直接対決、セブリング12hレースがはじまります。

13 15

ぶっちゃけ懇願しました。苦労の甲斐あってエンツォ・フェラーリは最新のワークスマシン330P3の2台以上の参加を約束。よかったねウルマン氏。

13 19

セブリング12hへのフェラーリ330P3の出走、フォードGTとの対決を望んでいたのはレース開催者のアレック・ウルマンも同じです。集客と入場料収入のためにも。

9 6



ぱいちゃん「じゃあアレ乗った?なんだっけアレ。フェラーリ?」

477 1994

日本のフェラーリ 松島幸太朗

0 6

フォード勢は表彰台独占の1-2-3フィニッシュ!フェラーリは65年ル・マン勝利チームNARTの365P2が14周遅れの4位に敗れフォードの完勝。ただ、365P2はバックアップチーム用のモデルであり、フェラーリの66年GTプロトタイプの本命である330P3との直接対決は次戦セブリング12hに持ち越されました。

10 11

キャロル・シェルビーは50年代アメリカの優れたレーシングドライバーでした(スポーツ・イラストレイテッド誌年間最優秀ドライバー2回選出)
1959年にはアストンマーチンDBR1でル・マン24hに優勝。フェラーリを破っての、この勝利はフェラーリと確執のあったシェルビーには格別のものでした。

13 23

しかし優勝はフェラーリ!ル・マン24h 6連勝を達成する。対してフォードGT陣営は出走6台の全てがリタイアという予想外の敗北を喫した。
フェラーリはワークスの330P2はリタイアしたもののN.A.Rチームの250LM(マステン・グレゴリー,ヨッヘン・リント)が348周を走り優勝、2,3位もフェラーリ車が占めた

26 31

迎えた65年ル・マン24h。新兵器の7Lマシン、MkIIは予選でゼッケン2(フィル・ヒル,クリス・エイモン)が2位のフェラーリ330P2(サーティース,スカルフィオッティ)に5秒1の大差をつけてポールポジションを獲得。さらに予選3,4,5位をフォードがしめ速さを証明した
「よっしゃー!もろたでこのレースっ!」

20 33

「フォードvsフェラーリ」予告ではゼッケン21のフェラーリ330がライバルとして描かれるように見えます。66年の21番車フェラーリ330P3のドライバーはジャン・ギシェ(64年ル・マン優勝)とロレンツォ・バンディーニ(63年ル・マン優勝)

19 29

開幕戦であるデイトナ2000km(デイトナ24hの前進レース)まで90日。勝つため、巨人フェラーリを倒すためにはどうしても必要だったドライバー、ケン・マイルズと共にシェルビーの戦いが始まる。

18 40

「ちょっとアレってなんやねん!フィアットと提携て ウチら完全に当て馬やんか!ぅわ めっちゃむかつくー!こうなったらレースでフェラーリぶっ倒したる!」

18 31

「私はエンツォ・フェラーリ コマンダトーレと呼んでくれ!」「フォードとの買収話は なかったコトにした お金の方はフィアットと提携できたので なんとかなったし そもそもフォードはクルマも工場も醜いからな」
「あと‥社長がちょっとアレだし」

23 34

「やあ!ウチはヘンリー・フォードⅡ世 世界一クルマを売りたい少女や ウチらのクルマをもっと売るために ルマン24時間とかでバリ連勝中のフェラーリさん買収したろか思てるねん 交渉は順調 契約も目の前っちゅうワケなんや」

27 43