アンを気遣い、家事を途中で切り上げさせるマリラとマシュウ。

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原作ではアンとダイアナの会話の中で13番は不吉と軽く触れられる程度。ジョーシーパイからの脅かしもアニメでは実際に描かれるし、励ますマシュウとマリラも付け足されている。
 

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レイチェル=リンドがアンを褒める長台詞の間、マリラがずっと映されている。原作にはマリラのリアクションがなく、その想像、解釈が画になっている。特にアニメ後半はマリラとマシュウがアンをどれほど大事に思っているか、そういう視点が多くなっていると思う。

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堂々と夏休みは勉強しないと宣言するアン。原作ではマリラたちのリアクションがなく、ババババーっとしゃべり倒すので、こういうやりとりは目新しくて楽しい。

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緑色の髪の話を聞いただけでショックを受け逃げ惑うマシュー=カスバート。なんと原作にありません。髪染め失敗が発覚してからマシューの出番がないのです。やはり原作の軸はマリラとアンの心の交流が主軸だと思います。

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マリラの想像する「美化されたとても良い子のアン」が面白い。毎回やらかされているのによほど心中でかわいがっていなければこんな想像はできまい。

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赤毛のアン第28章を見る

ここまでの積み重ねを感じて昼食を食べつつも落涙😢

気付けば物語も半ばを越え
この章を見終わる頃にはマシュウ、マリラと同じように少し寂しい気持ちを味わうのでした。

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原作にも同様のニュアンスの台詞はあるがマリラの「あの子が来てまだ2年にもならないというのにもうそういうことを考えなくちゃならないんですね」という台詞にカスバート兄妹にとってアンがどれほどかけがえのない存在かと。
 

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パフスリーブのプレゼントに呆れているのか覚めているのか、無関心なようで関心ありげでやっぱり無関心風?のマリラ。

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原作ではマシュウの煙草を嫌がるマリラと、それでもアンのことを考えるマシュウの描写があるが、アニメではこういうかたちで表現されている。原作と比べると驚くのは「そのまま」という場面がかなり少ないということだ。必ず一味、二味が加えてある。
 

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マリラ、アニメでは省略されているがステイシー先生の「新しい教育」には基本的には冷淡だ。「体操」することにも奇妙な印象を受けているようだ。

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原作にあるアンがマリラに話して聞かせるシーンを、アニメでは実際の出来事として実際に描くことが多いので、自然にアンの冒険ぶりと家族の団欒の印象が強くなっていると思う。原作はアンとマリラ二人のやりとりのシーンがより多い。

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マリラが摘んでいたのは夏林檎。

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『赤毛のアン』37話 15歳になっておしゃべりも大げさなもの言いもしなくなったアンに、マリラは驚きと共に一抹の寂しさを感じる。鉄道延伸の開通式のためにやって来たジョセフィン夫人をお茶に招くマリラ。アンは張り切って料理作りに励んだ。過去のアンの姿を回顧するマリラの心模様が痛ましい。

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『赤毛のアン』36話 アイドルワイルドの木が伐採されているのを見て衝撃を受けるアンとダイアナ。ミニー・メイの入学、物語クラブの終焉、医者に勧められ眼鏡をかけたマリラ。落第する夢を見て落ち着かないアンは、確実に時が動いていることを知る。大切なものを失ったダイアナの悲しみが胸に迫った。

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『赤毛のアン』35話 夏休みを謳歌するアンとダイアナ。一方マリラはマシュウが持病の発作を起こしたことと、医者から忠告されたアンの体調が気にかかる。リンド夫人はマリラにアンの成長について賛嘆の意を伝えた。昨日と同じ日が続いているようで、時は少しづつ変化をもたらしているのだ。

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マリラの「あんなケーキは豚にやるしかないね」という台詞のあとに本当に豚にケーキをあげに行くアン=シャーリー。私はこのときほど19世紀末の豚に生まれなくてよかったと思ったことはなかった。

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マリラは渋々だったがアンの主張を受け入れ、テーブルを花で飾ることを許す。アンは花を摘み、今日は鼻が利かないことを再確認する。原作にないオリジナル。というか細やかなオリジナルな部分が多い。

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マシュウの性格をわかっているマリラは当日の朝に招待のことを言うがやっぱり逃げ出すマシュウ。アンは追いかけようとするが、マリラは諦めている。

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マリラが「喜びの白い道」を覚えている。一年前の風景をと同じ風景であるだろうことを語る。原作の少なくとも当該の章にはないオリジナル。

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