//=time() ?>
そんなわけで、三崎忘年会の後、私は城ヶ島に渡って昔の砲台の後とか見物に行ってましたにゃ。1946年の米軍の航空写真とぐぐるマップを比較すると、二つの砲塔跡が見えますにゃ。あとさきっちょの方には観測所の跡が展望台になってますにゃ。
マステやトナーを除去しておめみえした惨状です。どこかの遺跡の出土品みたい。転写したトナーが一部浮いてしまったみたいで、土石流の航空写真のように文字の外に流れてるのがわかる。
もう我慢できずゲロってしまいますが、この航空写真中心の6棟の建物が1947年時点での茂原赤線です。わたしはこの建物が赤線だと知ったとき、卒倒しそうになりました。田んぼの中に浮かぶ歓楽郷、こう言っては語弊があるでしょうが、綺麗というか、とにかく美しいと思いました。
平和観音寺。
大きい観音様が見えたので見に行こうか、と言っていたが地図に表示されず困惑(3枚目。4枚目の航空写真にはある)。
近づいたら草が茂っており…近くのお店で聞いたら2006年に所有者が死亡、遺族も相続放棄で閉館。
早い話が「ばかでかい廃墟」である。
胆振地方、Googleマップの航空写真では、地震後に無数の斜面が崩れている様子が見られるようになっています。
https://t.co/CR3pyvjVRL
おお?
何だこれ?
海の近くなら塩田かな、と思うけど…内陸って言うか砂漠だしなぁ。
Googleの航空写真地図でウイグルを見てたら、こんなのあった。
同じ縮尺の東京と比べると、どれだけ大規模な物か判る。
#新疆ウイグル自治区
今年の頭に、国土地理院の航空写真にて解撤中の船を見つけてね、嫁っぽいなと思い一般配置図を重ねた結果…
はい、嫁ですね。特に機関室周りが完全に一致しています。
1953年に撮影された占領後の江田島海軍兵学校の航空写真
その④正門付近上空から江田島湾に向けて撮られたもの
こっちの写真の方がグラウンドにできた野球場がはっきり見えますね
さいたま市立岩槻郷土資料館は、岩槻城関連の展示が充実しています。往時の姿を伝える「岩槻古城八景」(描かれたのは明治時代だそう)や、戦後間もない時期の米軍による航空写真も貴重だと思います。