近代以前のヨーロッパにおいて、粉ひきに使う水車と風車は富の源泉だった。
何せ、貴族だろうが農奴だろうが、パンを食べない者はいないのだ。
水車や風車の持ち主である製粉屋は、多くの場合で近隣でも指折りの金持ちだったのだ。

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梅毒治療、そこひの手術
火傷の手当て、虫歯の抜歯
加えて髭剃り、洗髪、調髪
瀉血なんぞもおまかせあれ

16世紀ドイツの詩人ハンス・ザックスが記した床屋に関する詩である。
・・・床屋?

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1053年、チヴィターテの戦いでロベルト・ダルタヴィッラが率いる3000のノルマン騎士は神聖ローマ帝国軍を撃破し、ローマ教皇をも捕虜にした。
この時期、ノルマン人の多くがキリスト教に改宗していたため教皇は10ヶ月後には解放されたが(続く

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中世初期において恐怖の代名詞だったロングシップは、構造的には恐ろしく簡素な船であった。
簡素で軽いからこそ河川を遡り、浅瀬に容易に乗り込み、時には陸地を担いで横断して、北はロシアから南はシチリアまで全ヨーロッパを襲撃できたのだ。

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ガレー船は積載量に比して乗員が多く、経済的とは言い難いため商船としては早々に純帆船に取って代わられた。
とはいえ、地中海やバルト海など狭い海域で使う分には十分であり、それらの地域では軍船として、あるいは香辛料交易船として活躍している。

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ビザンツ帝国最強の将軍ベリサリウスは一介の農民から身を興し、25歳で北アフリカ遠征軍司令官となりヴァンダル王国を征服
イタリア遠征も成功させ地中海は再び「ローマの内海」に。
僅か10年でビザンツ帝国はかつてのローマ帝国の半分を取り戻した。

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重装騎兵に弓を持たせるという発想は珍しくはない。
しかし、重装騎兵に長さ2mもある大弓を持たせたのはイギリス人と日本人ぐらいだろう。
そして、重装騎兵が2m近い大弓でパルティアンショットをするのは日本以外にはたぶんいない。

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西ローマ帝国の崩壊によりヨーロッパは暗黒時代を迎えたと言われる。
しかし、こと冶金技術に関しては洗練されノルドやサクソンの優れた武器は中東へなど先進国へも盛んに輸出された。

高品質な鋼の武具が、ヴァイキングや騎士たちの強さを支えたのだ。

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955年、東フランク王国の重装騎兵は、数倍のマジャール騎兵を撃破した。
数に勝り、機敏な遊牧民たちは側面に迂回しフランク軍の野営地を奇襲したが、略奪に夢中になっているところを引き返してきた重装騎兵に轢き殺された。

なろうで真似したら(ry

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傭兵の多くは、職や農地にあぶれた貧民であった。
相続権のない騎士の次男三男や、激しいインフレや貨幣の悪鋳で生活が破綻した教師など知識階層も傭兵隊の募兵に群がり、騎兵や士官・書記等になった。

こういう若者が沢山いてバンバン死んだのである。

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傭兵社会は、兵士(下層民)と士官(貴族)の間で絶対的な格差があった。
しかし、農民からバイエルン軍騎兵総司令までのし上がった傭兵「ヤン・フォン・ヴェルト」など、まれに類まれなる才覚と功績で傭兵ドリームを成し遂げた成功者もいたりした。

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「ドリフのコントの最中に火災が起きたことがある」
芝居用の銃の火花でセットが燃えるハプニングがありました。
加トちゃん「火事だぞ、火事!山火事だ、山火事!」
長さん「山火事か?!」
加トちゃん「山火事を消せ!」
なんとか鎮火しました…。

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ストラスブールの戦いに参加したローマ兵で、昔のように美々しい板金鎧を着こんだのは一部の精兵だけであった。
軍の拡大と財政の悪化の悪循環で、大半のローマ兵は兜に盾があれば上等という、蛮族と変わらぬ惨めな有様に成り下がっていたのだ。

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拡大しすぎた帝国は領土に比して兵力が絶望的に不足
平和になれたローマ市民の間では兵役逃れが横行。親指を切り落として兵役を逃れる者すら居た。
やむを得ず恭順した「蛮族」を正規軍に組み込んでいき、やがて「蛮族」の将軍により帝国は解体された。

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来日したヨーロッパ人による日本人男性への外見的な評価は、その人物の日本に対する好感度に左右される。
しかし、女性に対する評価は日本が好きな人も嫌いな人もだいたい
「色白で小柄で可愛い(´・∀・)」
である。

男はいつの時代もこんなものだ。

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名高きテンプル騎士団はたった9騎の騎士(郎党を含めれば100人程度の兵力)が異教徒の襲撃から巡礼者を守るために始めた
高潔な男たちは神を尊び、善男善女を守り、異教徒は問答無用で殺すと誓いを立てた。

普通は、殺す前に改宗を進めるぐらいはする。

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もともとYRVはトヨタにOEMされる予定だった。

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13年間野ざらしにされたC62を2週間で復活させた人達がいる。

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1939年11月、ソ連軍がフィンランドへ侵攻を開始
世に言う「冬戦争」の始まりであり。

フィンランド共産党の重鎮マウリ・リュオマは
「戦争の原因は、政府の反動的な政策の当然の結末である」
との書簡を政府に提出した後、軍医として前線に向かった。

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