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弘川寺(河南町) 真言宗醍醐派
伝役行者創建。文治5年(1190)、歌聖西行が空寂上人を慕って来寺し、翌年当寺で亡くなりました。
正平7年(1352)には南朝によって賀名生へ移送される北朝3上皇が一時滞在。
享保17年(1732)、今西行と呼ばれた似雲により西行の墳墓が発見され顕彰が盛んになりました
養老ヶ峯から元明天皇の陵碑が発見され、治定も変更されると、養老ヶ峯(元明陵)とコナベ古墳(元正陵)が遠すぎるという矛盾が生じます。
この為元正天皇陵も、文久修陵時に養老ヶ峯と小谷を隔ててすぐ西にある弁財天山に変更されました。これが現在の奈保山西陵です(画像は『文久山陵図』より)。
極楽寺(京都市左京区) 時宗
正暦元年(990)、伝源信創建。一遍が中興し時宗となります。
本尊は鎌倉時代の鞍馬寺式毘沙門天。脇侍が恵比寿神坐像と大黒天立像という珍しい三尊形式です。とりわけ恵比寿神坐像は室町時代に作られた可能性があり、定型化する前の古様な姿で貴重なもの。
金光寺(京都市下京区) 時宗旧市屋派
平安中期、平安京東市の地にあった空也上人の念仏堂が前身と伝わります。弘安7年(1284)、空也を慕う一遍がその遺跡を訪れ踊屋・市屋道場を設置(一遍上人絵伝で踊念仏の周りで牛車がごった返しているあのシーンです)、金光寺となりました。
徳林庵(京都市山科区) 臨済宗南禅寺派
東海道沿いにあり、京都六地蔵の山科地蔵を祀ります。
天文19年(1550)、南禅寺の雲英禅師が人康親王(831-872)を弔う為に創建。江戸時代には親王を琵琶の祖と仰ぐ盲人が年に一度集まり、琵琶の腕前を披露しあったんだとか。
清水寺朝倉堂(京都市東山区) 北法相宗
朝倉貞景(1473-1512)が創建したお堂です(現在のお堂は寛永期の再建)。貞景は応仁の乱で焼けた清水寺の復興に多額の寄付をしています。
堂内には清水寺の鎮守である地主神社の本地仏・普賢菩薩像が、神仏分離以降遷座されているとのこと。見てみたい…
正林寺(京都市東山区) 浄土宗
九条兼実別邸の跡地で、兼実が帰依していた法然上人が住んでいました。享保18年(1733)に恵空が法然遺跡であるこの地に正林寺を移し現在に至ります。
保育園が併設されていて、子供達の元気な声を聞きながら参拝できます。阿弥陀堂と遊具のコントラストも良き😊