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秋田市中通六丁目6-10にある、あきた文学資料館を支援するためのページです。資料整理のボランティア活動や資料収集の支援を目的に設立しました。

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」の創刊は昭和26年12月1日。編集後記を見ると、「学内誌であるが故に殊更に敢えてイデオロギーの強調や私感情の摩擦、又一方的な態度の押売はしなかった。此の点学術誌でもなく文芸誌でもなく、簡単に『秋大文学』と名づけられた理由でもある」と記している。

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SNS新収蔵資料展【和風と秋田正風派④】
明治30年代、 の日本派が全盛を極め、全国にネツトワークを廻らす。秋田では『俳星』が呼応した。一方、#安藤和風 らは、吉川五明を秋田正風の始祖とし、秋田俳諧の系譜に立脚地を定めた。こうして日本派と正風派は県内俳壇を二分するのであった。

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安藤和風主宰の俳誌「麗」が創刊されたのは昭和11年2月。編集兼発行人は加藤俊三でした。加藤は蓼洲と号した人物です。
  下萠の右往左往や積木跡  和風
    麗新詠
  押せば開くとぼそぞ吾に散る馬酔木 境田素洞
  春寒し路に迷へる軍鶏一羽    安藤五百枝

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昭和22年1月1日 は、角館町出身の作家、塩野米松の生まれた日です。計4回芥川賞候補となったほか、漁師や職人から伝統文化・技術に関する話を聞きながら記録する「聞き書き」というジャンルの第一人者として活躍しています。

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戦後秋田の本格的な文芸同人雑誌のトップを切って、『秋田文学』が誕生しました。創刊は昭和23年1月1日。編集人は金沢蓁。創刊号の表紙は日本画家福田豊四郎(小坂町出身)の飛翔する鳥の絵で飾られました。編集後記に「秋田県内の全文筆家を動員結集した、強力な文学団体と自負していい」とあります。

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昭和56年10月、児童文学研究者滑川道夫が『桃太郎像の変容』で毎日出版文化賞を受賞。湯沢市出身で、秋田県内の小学校教師時代には『北方教育』の創刊にもかかわりました。

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🌛おはようございます。あきた文学資料館は本日(月曜日)休館です。 【次回展示】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」

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🌛おはようございます。あきた文学資料館は本日(月曜日)休館です。 【次回展示】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」

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🌳おはようございます。あきた文学資料館 開館の時間です。 「戦後秋田の文芸誌・詩誌」展、いよいよ1日(日)までとなりました。お見逃しなく。

【次回】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」

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従来、岩手の石動炎天や野村胡堂らが女米木の露月宅に一泊したのは、明治33年7月26日とされていました。(『露月日記』年譜)しかし、盛岡タイムスWebNewsによれば、胡堂が26日夜土崎から父に手紙を出したとか。となると、露月宅訪問は27・28日の二日間ということになります。

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