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安藤和風主宰の俳誌「麗」が創刊されたのは昭和11年2月。編集兼発行人は加藤俊三でした。加藤は蓼洲と号した人物です。
下萠の右往左往や積木跡 和風
麗新詠
押せば開くとぼそぞ吾に散る馬酔木 境田素洞
春寒し路に迷へる軍鶏一羽 安藤五百枝
昭和22年1月1日 は、角館町出身の作家、塩野米松の生まれた日です。計4回芥川賞候補となったほか、漁師や職人から伝統文化・技術に関する話を聞きながら記録する「聞き書き」というジャンルの第一人者として活躍しています。
戦後秋田の本格的な文芸同人雑誌のトップを切って、『秋田文学』が誕生しました。創刊は昭和23年1月1日。編集人は金沢蓁。創刊号の表紙は日本画家福田豊四郎(小坂町出身)の飛翔する鳥の絵で飾られました。編集後記に「秋田県内の全文筆家を動員結集した、強力な文学団体と自負していい」とあります。
昭和56年10月、児童文学研究者滑川道夫が『桃太郎像の変容』で毎日出版文化賞を受賞。湯沢市出身で、秋田県内の小学校教師時代には『北方教育』の創刊にもかかわりました。
🌛おはようございます。あきた文学資料館は本日(月曜日)休館です。 【次回展示】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」
🌛おはようございます。あきた文学資料館は本日(月曜日)休館です。 【次回展示】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」
🌳おはようございます。あきた文学資料館 開館の時間です。 「戦後秋田の文芸誌・詩誌」展、いよいよ1日(日)までとなりました。お見逃しなく。
【次回】10月9日(水)~12月27日(金)、後期特別展示「回顧 平成秋田の文学」
従来、岩手の石動炎天や野村胡堂らが女米木の露月宅に一泊したのは、明治33年7月26日とされていました。(『露月日記』年譜)しかし、盛岡タイムスWebNewsによれば、胡堂が26日夜土崎から父に手紙を出したとか。となると、露月宅訪問は27・28日の二日間ということになります。