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前にも一度RTしたこの図像、『インド神話物語 ラーマーヤナ 下 』P.166では、確かに「ハヌマーンの肩に乗ったラーマ」の記述がある。しかしVMK版『新訳ラーマーヤナ6』には見つからない。ラーマ、ラーヴァナ共に相手の馬を斃したという描写はあるのだが。
先日久しぶりに見た『デーヴィド 二つの物語』、劇場で見るとやはり聞こえなかった音が聞こえるようになったり、目が行ってなかったことに気付いたりで面白かった。イスラーム教徒のあるべき姿を示した『アブ、アダムの息子』と同じく、教義そのものを描こうと試みた珍しい作品。
Raya: Krishnadevaraya of Vijayanagara (Srinivas Reddy) #要チェック本
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ラージャー・ラヴィ・ヴァルマの作品を衣服という面からみると、①西欧的な裸体の賛美②当時のトラヴァンコール上流社会の忠実な写生③地方的特色が極力排除されたサリー姿の女神像ぐらいに分かれ、このうちの③が複製技術に乗り「カレンダー・アート」として全インドを席巻したのだ。
同年の同時期に公開されたマニ・ラトナムのKadal (Tamil/2013)もガチなクリスチャン映画で、何が起きてんだと思った。こちらはより抽象的な善と悪との闘いで、頭の中で拵えた感、もっと言えば中二病っぽさがあった。しかし人生には中二病的想念に浸りたい時だってある。そういう際にお勧めの一本。
Ugramm (Kannada/2014) なんか、ストーリーはラーマーヤナ系でプラフラーダへの言及はないのだけど、タイトルにナラシンハをもって来ていて、何だ何だと思うけど、陰惨で暗澹とした世界を構築するためのものだったかと思う。
しかしこれ、NTR作品という以上に監督バープのものという性格が強い。大詩人は女好きという設定で、カメラは大勢の女性たちの体を舐めまわすように撮る(が、それ以上の不埒はしない)。絵師としてのバープのBapu Bommaluがそのまま実写化されていた。
しかし、その武術を活かし、最も目覚ましい働きをしたナラカースラ討伐のエピソードは、ディーワーリーの起源を物語る重要なものであるにもかかわらず、しばしば夫であるクリシュナの手柄として語られてしまう。