//=time() ?>
古代にはクロノスは不吉とされたことは確かである。彼は自分の息子を貪り食らった非道の親と見られており、ギリシア人は彼を人間犠牲、とりわけ子供の犠牲を喜んだ残忍なセム人のバール神と同一視した。オリュンピアにあるクロノスの神殿には、幼児犠牲の形跡が濃厚にある。
メキシコ年の最大の祭典であるトシュカトルでは、毎年1人の若者が一年間「神々の中の神」であるテスカトリポカ【図】として保護崇拝された後、この神の代わりとして犠牲に捧げられた。この人間神の供犠は復活祭かその数日後に行われたとされ、祭儀の性格も日時も救世主キリストの死と復活に対応する。
それにマッチで点火すると、瓶と中身が吹き飛ぶ。石や鉄片は昨年の病気や災厄を表し、爆発による飛散は病気や災厄の飛散であると信じられている。この祭典には大騒ぎと酩酊が付き物である。
パンジャブでは、疫病の治療法はチャマール階級[インドの不可触民の中でも皮革を扱った人々]の男を雇い、村と反対の方向に顔を向けさせ、真っ赤に灼熱した鎌で烙印を押し、疫病を持たせて密林の中に追いやることであった。彼は後ろを振り返ってはならない。 『金枝篇 スケープゴート』
バイエルンとボヘミアを分かつベーマーヴァルトの山岳地方では、村中の若者達が日没後、どこか高台か十字路に集まり、しばらくの間一斉に力一杯鞭を鳴らす。こうして魔女を追い出す。鞭の音が聞こえる限り、この恐ろしい連中は何の害も加えることができないからである。
13世紀前半のシェーンタールのシトー修道会を支配した大修道院長リカルムスほど、自分のまわり至る所に悪魔が存在していると絶えず考えていた者はなかろう。彼が『啓示』と名づけた奇妙な著作には、日夜悪魔に悩まされた様子が書き綴られ、この悪魔は見ることはできないが聞くことはできるとしている。
モニエル=ウィリアムズによれば、インドの住民の大多数は、揺り籠から墓場に至るまで、悪魔恐怖症(デモノフォビア)という言葉が最も適切な、一種の精神病の犠牲者であることは疑う余地ない事実である。彼らは絶えず悪魔の恐怖に付きまとわれ、圧迫されている。
中国では年末一斉に悪魔を追い出すことを追儺(ついな)と称している。西暦の紀元2世紀に当たる漢王朝時代の記述では、「四つの黄金の目を持ち、熊の皮の仮面をし、赤い裾の黒い外套をまとった方相氏(ほうそうし)が槍を持ち、盾をかざして一年の終わりの十二月に追儺を行うならわし」とある。
「ペルセウスとアンドロメダ型物語」
「蛇あるいは竜と考えられる水の精霊」
「水の精霊に対する人身供儀」
金枝篇第2巻、第12章「聖なる結婚」見出し