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偉大なる青にして青の王“だった者ども” これは忘却の進む物語と、終焉迎える世界への抵抗 青にして繋がりの“我ら”は万古の契約の履行を要請する 完成せよ 精霊手
否、彼らは人型戦車を見たのではない。 人型戦車に集う、青色の光輝を見た。
武器弾薬も僅少に過ぎた。 3番機が備えるのは、20㎜機関砲と予備弾倉がひとつ。他にもジャベリンミサイルが搭載されたミサイルランチャーを背負ってはいるものの、こちらは格納分を撃ち切ってしまえば、もう再装填の望みはない。
ここでも火消しに駆り出されたのは5121小隊であった。 逃げ場のない一本道、行幸坂と法華坂で無数の幻獣達が朝霧となって消えた。
熊本城攻防戦の直前に市長が「あそこは北側が弱い」と言った通り、熊本城の要害としての価値には疑問符が付けられていた。熊本城は東側・南側を坪井川に、西側を備前堀と二の丸に守られている。が、北側は博物館や小中学校、公園があるばかりで、小型幻獣群の侵攻を食い止められそうな障害はなかった。
乾坤一擲、である。前述した第109師団をはじめ、老朽艦『ながと』を旗艦とする海上自衛軍第3艦隊、航空自衛軍航空教育集団を繰り出しての反撃。九州における最後の決戦が、始まろうとしていた。
中村光弘もまた、5月2日はただただ整備に集中した。 幻獣軍に決戦を挑むにしろ、撤退戦の殿を務めるにしろ、準備は裏切らないからである。 【ガンパレ熊本戦20周年追想・1999/05/02・了】
「我こそ最後、正義最後の砦」
自分達がヒーローである、例えヒーローでなかったとしてもその背後には何もない――自分達が非戦闘員を守る最後の砦であると信じて戦う。 当時の学兵が残した日記や手記、彼らの証言を整理してみると、熊本撤退戦に向けてそういう気概が5121小隊のみならず、他の学兵達にも伝播していったことが窺える。
それでは上が頭を悩ませている間、前線の学兵達は何をしていたか。特別なことは何もない。戦闘と訓練と整備。 記録によればこの日、5121小隊では小隊員の芝村が「ヒーローになれ」と他の隊員らを叱咤したらしい。シンプルな話だ。非戦闘員を守るためには、友軍に追い縋る敵をみな撃破するしかない。