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付言すれば、雫が必要だと考えた勉強とは、創作スキルや専門的なテクニックのような特化型知識ではなく、普通科の高校で学ぶような汎用型知識、いうなれば一般教養です。
こうして雫はみずからの物語を失敗作に終わらせてしまいました。その感想は「もっと勉強しなければならない」だからこそ「高校へ行く」という、受験勉強をする純粋なモチベーションが生まれました。
つまり、雫は「優れた創作のためには知識があるほうがいい」と考えたのです。
ついに見つけたと思った宝石が、薄汚れた汚い雛の死骸であった。作品とは自らの知性と精神が産み落とした子供であり、雫のそれは死産であったことが描かれていると思われます。
当初のひらめきだけではどうしようもなく、付け焼き刃の知識でカバーしようとするも、どんどん枯渇していきます。その限界に突き当たる様子が、映像ではまわりの背景や主人公の服装で表現されています。
きらびやかな天空の世界から暗い洞穴へ、美しい紅のワンピースがふだんの制服へ。
知識と個性(オリジナリティ)の関係についてこの機会に考えたい人は、ジブリアニメ『耳をすませば』を見てください。主人公の女子中学生が小説を書く物語です。
魅力的なアイデアで始まるものの、次第に展開に行き詰まる過程が見て取れます。そして図書館へ出向き、本を山積みにして打開を試みる。