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→日常のアイヌ社会を描いているため「何もしていない人」も描かれ、従来のアイヌ絵にはない「柔らかな」作品群です。
また、作者がのちに絵を完成させるために隙間にいろいろなメモを走り書きしていて、19世紀半ばのアイヌ風俗についての貴重な記録となっています。→
→名前の下の「九間」「八間」というのは浜の使用権の区切りで20~30メートルの間隔で仕切られていました。
この地図でひときわ目立つのが赤く塗られた「赤岩」です。わざわざ着色するほどに目立つ赤色だったのでしょう。この赤岩海岸にも漁家のマークが点在しています。
総合博物館構内で運行していますアイアンホース号の新客車「一等客車」は昨年お披露目を行いましたが、現在、三等客車と石炭貨車の製作にとりかかっていまして、今月はいよいよ大詰めです。→
→文集のテーマは「将来の希望」なのですが、絵も文章もかなり画一的なものです。
「米国が自慢したら此ちらもっと優秀な飛行機を持って、かたっぱしからたたき落としてやります。体当たりと言ふ戦法でやります。(略)この画は、僕の今思ってゐる将来を画に書いた画です。」→
本日は、渋沢栄一と小樽」についての一側面を紹介します。昭和30(1955)年頃における小樽の市街図では、ふ頭(現在の港町ふ頭から第三ふ頭)や運河周辺をみると、その大半が倉庫と目される「渋沢」などと記入された箇所がなんと10ヶ所(赤丸・青丸)も見つかりました(渋沢倉庫小樽支店も含む)。
大輪の花を咲かせる牡丹。小樽では5月下旬が見頃です。現在、手宮緑化植物園や小樽貴賓館(旧青山別邸)の牡丹が有名ですが、明治時代後期には、小樽市富岡にあった金沢植物園でも栽培され、市民の目を喜ばせていました。
再開館後に企画展「おたるの『春』みーつけたでお楽しみください。
総合博物館はあさって13日(月)より再開いたします。
しかし、新型コロナウィルス感染の状況は依然として油断できないのが現状です。
そのため、「注文の多い博物館」は継続したままの再開となります。いま、できることを考え、少しづつ歩みを進めていきます。
ご支援、ご協力をお願いいたします