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急に陽気がよくなったことで、静かに沈殿していた切なさや哀しみが陽炎のように心の水底から立ち上がってきてしまうのは何故だろう。汗ばむ肉体のリアルにもまだ向き合えない。暗めの色や質感でこの焦燥を鎮められたらいいのにと思う。例えば三岸好太郎のそれのような作品で。彼の絵に再会したいな。
昔、好きな絵の具を使って好きなように今の気持ちを描いてみてと言われたときに描いた絵。出来上がった絵を見て初めて自分がずっと泣きたいのを我慢してきたことに気づいたのだ。そのくらい、人は自分自身を騙す。
ブリュック展がTLに流れてくるのでわたしも一枚。時間が取れず駆け足だったのが心残りなので、会期中にもう一度行けるといいなと思いつつ。これは彼女の最愛の父親の葬儀をモチーフにした作品の一部。白い花がとても印象的で、ここから彼女の精神世界がひとつ別の段階に入っていったように見えた。
昨日は新米パパさんが小さな女の子を連れてちょっと照れくさそうに、でもどこか誇らしくもある様子で一緒に散歩していた。女の子はしばしばしゃがみこんでは路傍の花に見入ったり触ったりしている。とても可愛らしい。すれ違う人が皆微笑む。振り返る。幼子の差し出す「永遠」が見たくて。
亡父は読書をしない人だったが子供の為だったのか、世界文学全集のうちの数冊が本棚に並んでいた。(選択基準不明)小学校高学年になったわたしがそれらのうち漢字が少なく読めそうかなと手に取った最初の本はチェーホフだった。モノクロ写真の印象が強かったけれど、こんな写真を見つけて。備忘録
今、心惹かれている絵本。アメリカ・ネバダ州の砂漠地帯にある小さな町。電車も来なくなり、砂漠のなかにポツンとある。夏の昼間は暑さで外出できず、人が表に出られるのは夜になってから。秋は砂嵐。冬のほんの少しの雨が、春の緑をもたらすのみ。でも、そこにも人の暮らしが息づいている。