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私はかつて観察博士と呼ばれ、更には匂い博士の異名があった。午後9時、帰宅する私は何者かに呼び止められた。沈丁花である。それは、吹き出すように紫と純白の花を咲かせ、かぐわしい香りを辺りに巻き散らかしていた。匂いには記憶が宿る。満月を待ちぶせしている沈丁花に私は解放されそうだった。
眠れぬ夜も起きられぬ朝も、当人には悩みの種。でもそんな苦しみとは関係なく地球は回る。朝がきては夜がくる。
「雨はやだな~」とブツクサ言っても恵みの雨が降る。「暑すぎるよ~」と文句を言っても陽の光が降り注がれる。
何も物言わぬ地球。
その大いなる優しさに気づかず私は生きていた。
社交場。そこは自分にとって心地よい、安心できる~に限らない場所。だからこそ自己鍛練にふさわしい。さあ出かけよう。いつか己のパフォーマンスの伸び代を知って驚くはずだ。
私は基本的に人を信用している。では他人は?となると難しくなる。ニュースは他人に警戒心を抱かせることを教える😞💦
そこで私は他人を「タニン」と書き換えてみた、生物の一種として捉えたてみたのだ。きっとタニンなら信じられる…
さて、今朝は不思議とタニンに道を譲られることが多かった(笑)✨
君は浮き足立つのが嫌いなのだ。
ひとつは、皆が盲目的に一方向を向くことへのアンチテーゼであり、もうひとつは、浮き足だと好みのステップが踏めないもどかしさだ。
・盲目的にならぬよう『心眼』を磨くこと
・浮き足立たぬよう『軸足』を持つこと
これがきっと、君が人生で謳っていることなんだ。
ある時「共有」の深い定義を目にして感銘を受けました。それは【共有とは誰かと分けあうことではない。自分が持っているものを、相手が利用できるようにすること】でした。それを見たとき時、「このやろう、おれの物を」「このやろう、勝手に無断で」なんていう自我が黙り、笑った記憶があります(笑)
おはよう☺️
研修であんまり頭を使いすぎて疲れ、帰宅後スマホからも離れてました😵
昨夜はボ~っとしながら「個でありながら全体であり、全体でありながら個という意識」「全体像を見渡し、自分の内なる世界と外の世界は同じであると知ること」に想いを馳せ酒を飲んでました🍶
今日から復活だよん😉👍
『誰かを全力で応援できない人は、誰かから応援されることはない』
何年か前の盛岡一高バンカラ応援団長の引退の言葉。その記事はインパクトがあったので今も覚えている。
東京オリンピック。
どの国のどの選手も、開催された喜び、試合が出来る喜びを噛みしめている。
全力で応援したくなる毎日だ。
詩人ジョン・キーツの言葉【負の能力】というのに出会いました。それは【不確かさ・不思議さ・疑いの中にあって、早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続けられる能力】なのだそうです。無力感や空しさと付き合う力は、詩人や哲学者に限らず、寄り添う者たちに必要な能力でしょう。今だからこそ。