//=time() ?>
最後は悲しい結末となりながらも、それまでに大勢の海兵を育て送り出したケーニヒスベルク
アズレンでも彼女の教官として精神はしっかりと受け継がれています
どうかこれからも、多くの指揮官を育て上げてほしいですね
何が言いたいかというと…
ケーニヒスベルク、お誕生日おめでとう!
(遅れごめん)
WWⅡ前には欧州諸外国への親善訪問も行っており、1929年10月には万国博覧会が開催されていたスペイン・バルセロナ、1934年7月には軽巡洋艦ライプツィヒと共に英国へのWWⅠ終戦後初の親善訪問を果たしています
独の顔役として多くの国々を訪れたわけですね
言動含めてちょいと横暴気味だけど、素直な元気っ娘タイプ
でも他の鉄血駆逐艦と比べるとエチチなのよなぁ…(上下共に)
あと顔芸
その最後はとても悲しいものではありましたが、アズレンでは素直な仲間思いな…艦歴に由来する自信家な面が強い娘として生活しています
今度は視界不良な中でも敵味方を間違えず、元気に活躍してほしいですね
何が言いたいかというと…
Z16、お誕生日おめでとう!!
しかし護衛任務ではZ16は重要な艦の護衛を幾度か担っていました
1939/3/23~24より実施されたメーメル占領時にはヒトラーが乗船するドイッチュラントの護衛を務めたり、1941/6/13にリュッツォウに改名したドイッチュラントが敵機の魚雷で損傷した時は右舷エンジン再稼働までZ16が曳航しました
他方駆逐艦が請け負う機会が多い巡視や護衛では大きな戦果は確認されていないようで、水上戦では損傷やエンジン不調、精密検査を受けた報告が多いです
(当然ではありますがね)
ヴェーザー演習作戦の前日の兵員輸送時に左舷プロペラシャフトがオーバーヒートしたり、帰還時に燃料不足に悩まされたり…
アズレンwikiでは元ネタ詳細が少ない彼女ですが、固有スキルにあるように直接戦闘よりは機雷敷設による戦果が多い艦船です
1939年、英国ハンバー川河口沖に後輩達(1936型)と共に、翌年1940年に今度はテムズ川河口沖に機雷原を敷設
計22隻の船舶を沈めました
(内1隻は英国海軍の駆逐艦グレンヴィル)
1937年の本日(3/21)、1934A型駆逐艦の1隻「Z16 フリードリヒ・エッコルト」が進水しました
艦名はWWⅠ真っ只中の1916/5/31のユトランド沖海戦で大型水雷艇 V48の艦長を務め、戦死したドイツ帝国海軍の中尉「フリードリヒ・エッコルト」氏の名を拝借し名付けられました
ですが戦況は刻々と悪化
1945/2/20以降は難民や負傷者を乗せた船の護衛を務め、5/9~10に約20,000人を乗せた客船の護送を務めた後に退役
5/8の独の無条件降伏文書の発布後も、Z25は独艦船として人命救助に務めてその任を全うしました