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数年前に描いた自画像です。70歳代の後半の頃。81歳になると…かなり体力が落ちました。先日のことですが狭い道を歩いていると後ろから来た車が警笛!振り返ると運転者は携帯電話中。思わず「危ないじゃないか」声をだしました。その声に驚いた運転者は110番通報。屈強なおまわりにシボラレました。
いろは丸を沈没させた頃。悪人顔です(イラスト)私の小説では『いろは丸』は龍馬の手で沈没されたと設定。紀州藩に「武器弾薬満載』と言いがかりつけ8万両の賠償金を払わせた。近年、いろは丸の海底調査がTVで放映。武器弾薬の搭載形跡は無かった。
原爆投下から71回目の8月である。1945年8月6日午前8時15分。当時の8月、私は福知山の疎開先でアメリカ軍のB29を見た。その頃アメリカ軍は原爆投下の場所探しをしていたのであろう。B29の高度は高かった。
イラストは筆者
疎開先(福知山)でハッキリと見たB29 青空に銀色の機体。4,5歳ごろの記憶だが、幼い時の恐怖は今でも蘇る。戦争が終わって高知へ帰る頃の夏空には疎開先で飛んでいたB29を見ることはなかった。孫たちに戦争の恐怖だけは味あわせたくない。
昭和21年ころ、私の町にも「アメリカ兵=占領軍」がいた(5歳当時)
そんなことに、お構いなしの少年期だったが『日本は戦争に負けた』と薄々感じていた。何も無かったが「平和」だった。毎年、この猛暑のころ思い出す。