//=time() ?>
加藤茶の父親・平八郎がいた「南里文雄とホット・ペッパーズ」には後にハナ肇も在籍。続いてハナは「浜口庫之助とアフロ・クバーノ・ジュニア」にドラムスで参加し、ボーカルは後に“ムード歌謡の女王”と称される松尾和子の姿も。そして昭和30年「キューバン・キャッツ」結成へと繋がる。@retoro_mode
【昭和の野球】二大スター並び立つ 日米対抗大野球戦 昭和9年
遂に“野球の神様”がやって来た。日米野球の初戦(11月4日)、神宮球場で撮られた生写真。左から鈴木惣太郎、矢島粂安、ルー・ゲーリッグ、苅田久徳、ベーブ・ルース。#おうちミュージアム @retoro_mode
歌手の水木一郎さんは昭和39年、入り浸っていたジャズ喫茶「ラ・セーヌ」でドリフのリーダー・桜井輝夫氏と知り合い、付き人も経験されたとのこと。当時の話はぜひ詳しく伺ってみたい。(画像は昭和36年のもの)@retoro_mode https://t.co/ruNTPFJLYq
【昭和の喫茶店】東京・市ヶ谷一口坂 『カスミ』 昭和35年
店内の壁は麻布、色付の木毛板やラワンの横板、大谷石積などで構成。天井は化粧梁、窓は外側にガラス戸、内側に障子を用いている。@retoro_mode
【昭和の食卓】田辺茂一 (紀伊國屋書店社長) 昭和52年
行きつけのしゃぶしゃぶ店にて。「朝食はお手伝いさんの手料理、昼は会社近くの“しゃぶ通”、夜は酒か朝鮮人参を溶かしたお湯のみ。この食生活で三十年来、医者にかかったことが無い。今後三十年も続けられるだろう」──昭和56年没。@retoro_mode
【昭和の喫茶店】東京・新橋 『夜来香』 昭和30年
李香蘭(山口淑子)の名曲「夜来香」などを生バンドで奏で、胡美芳がステージに立ったこともある音楽喫茶。バンドステージが1階~3階を遊動するのが特徴。同じ経営母体が中国料理店「新橋亭」を現在も4店舗展開している。@retoro_mode
【大正の野球】オール・アメリカン・ナショナルズ来日 大正9年
メジャーとマイナーの混合チームで早・慶・明・法大相手に6戦全勝。外野手のハーブ・ハンターは日程終了後も日本に留まり技術指導を実施。大正11年、昭和6年の日米野球では監督として再来日し、両国の架け橋となった。 @retoro_mode