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資料を整理していたら、新たなコンクリート像と思われるものを発見しました!
一枚目の写真には福崎日精氏と思われる人物を中心に複数の男性。
そして、後ろには槍などの武器を持った像が見えます。
そしてほかの写真には四天王?の像。
つまり、これらの像がある場所が日本のどこかにある!
そして何より、大善院のご住職夫妻の愛情と情熱が素晴らしかった。
花井探嶺や柴山清風を「コンクリートだから」とか「無名だから」という基準で判断せず、高く評価しており、これまでコンクリート像が冷遇されている様子を幾度となく見てきた自分にとっては、それが感激だった。
青島のとあるお宅には、かつて福崎日精と交流を持った形跡が見事に残されていた。
写真、手紙、そして肉筆画。
福崎は確かにこの青島で観音像を製作し、その後、滋賀で大仏を、佐賀で仁王像を建立したのだった。徐々に、その足取りが掴めてきた。
南知多町・中之院の兵士像。劣化も目立つが、それでも80年近く雨晒しになった像がまだこの精巧さを保っているのは、浅野祥雲がコンクリートの強度に絶対の自信を持っていたからにほかならない。
顔や衣服のモルタルを使い分けているし、この技術はなかなか真似できるものではなかったのではないか。
そしてついに、念願だった南知多町中之院の浅野祥雲作軍人像(兵士像)に参拝することができた。
かつて名古屋市月が丘にあった像の一部は、平成7年、この地に移設された。
祥雲以外の石工による像もある。
昭和12年から18年、戦争で若くして亡くなった兵士たちの像。合掌。
聚楽園大仏を作った棟梁、後藤鍬五郎は映画の大道具の仕事もやっていたそうなのです。だから大仏と映画とが融合して当時『大佛廻國』という特撮作品が生まれたのは必然だったんではないかなあと思います。
ところで、昨年末にテレビで取り上げていただいた後、青島出身の方から「大観音の写真に写ったスーツの男性は『クハラさん』というお医者さんである」という情報をいただきました。
岡山県といえば、真庭市重願寺近くに現存する『早川代官像(早川八郎左衛門正紀像)』も、福崎日精作である事が確定しました。
すでに頂いていた情報でほぼ確定はしていましたが、裏付けられた格好です。昭和7年の作と伝えられています。
丹羽郡大口町に昭和初期に建てられたというこちらの弘法大師像、福崎日精作のコンクリート像と思われますが、こちらは現存するのでしょうか?
調べても全く出てきません。