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ひとのため(for)の世界がひとのため(by)に壊されていきます。生きることを運命づけられた我々人間が生を紡ぐ程にその生命を支える器は傷ついていくという事実は我々の内包する解き難い矛盾と非業をよく物語っています。生と死、創造と破壊の調和を再考すべきなのだと思うのです。
近代化を経て成熟した現代国家は他国を威圧したりしません。武力は国際秩序を維持する為の制裁と各国の自衛の為にのみ用いられるべきことが原則であり、他国を威圧する為のものではないことを現代化の過程で歴史的に学習したからです。即ち、武力による他国威圧を企図する国は現代化がまだなのです。
カントの「現象と物自体」を盛大に誤解している諸説を見かけます。カント曰く、我々は実存する物自体を直接認識できないが、我々の内に備わる統覚の領野にそれらから投影される現象を通じて物自体を主観的に把握できるというのであって、現象を捨象すれば物自体が消えてなくなる訳ではありません。
おはようございます☆彡。
西の空の雨はようやく上がったようですが、まだ鉛色の重い雲に覆われていて、照り付ける夏の日差しはその顔を隠しています。
今日は金曜日、今週ウィークデーも一区切りです。明るい夏の陽が恋しいですね(o>ω<o)。今日も元気に過ごして行きたいと思います。
最近思うのは、様々な独自ルールのあるSNSの世界で日々意思疎通をしている若い世代は、僕たちの世代以上に生き難さを感じるだろうなぁということです。またそうしたSNS界隈のルールと現実の社会、とりわけビジネス界の人的交流や意思疎通の仕方は違うため、社会に出てから戸惑いを覚えるのも頷けます。
初代ときメモのキャラを今風の萌え要素で括ってみました🌟。
鏡魅羅 → ツンデレ
紐緒結奈 → ヲタク
清川望 → 脳筋
古式ゆかり → ふしぎちゃん
片桐彩子 → 歌うま女子
館林見晴 → ヤンデレ
藤崎詩織 → メンドクサイ
※現実の高校生生活よりきらめき高校生生活が長かったです(*´꒳`*)懺悔。
そこで試技する人も、働く人も、奉仕する人も、皆「そのような人達」という集合体ではなく、掛け替えのない有限の生命のひとつひとつであり人格です。人々が様々な特性や事情を抱えて生きる個人であることを忘れ、彼らを抽象的な「人」と見做す時、政治家にとって政治は他人事となり非道を為すのです。
先日僕の敬愛する若い才能が「自由と放縦は異なる。自由をはき違える時社会は動揺する(投稿者要約)」という趣旨を述べておられましたが、まったくその通りです。自分の自由に属するから他人を害しても続けていいわけでは全くなく、そもそも人権の概念それ自体が相互自由の衝突調整から始まるのです。
お恥ずかしい話ですが、学生時代に柄にもなく身を焦がすようなとても激しい恋をしたことがあります。といっても僕の片想いだったわけですが…。それは今でも心の奥底で時折燻ります。最近になって、いつか僕がこの世を去ったとき、この報われなかった想いはどこに行くのかとふと思うことがあります。