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「日用帳」と「戸板康二ノート」というブログをたまに書いています。他に日記的なメモを残す場所として→ note.com/foujika / 蟋蟀 @palealeplease
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1920-30年代のお菓子の広告「アサヒキヤラメル」。坊や嬢やの日々の友に。アサヒキャラメルの製造元・後藤北一堂は大阪市内の製菓会社で大正8年(1919)創業らしい。

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東宝直営・神田銀映座のプログラム『銀映座アナウンスメント 18』第2巻第14号(昭和11年9月15日)の「近日上映 P.C.L. 作品三題」のページに、「茶房PCL」の広告。「PCL映画フアンはPCL茶房へ」。ジャズとタンゴが流れていたらしい。

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戦前の『信州別所温泉 和泉屋旅館案内』。今はなき旅館の案内冊子。裏面の沿線案内が目に楽しい。始発上田駅から終点別所温泉駅までの途中駅、上田原から青木線(昭和13年廃線)、下之郷から西丸子線(昭和38年廃線)が走っていた。

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『歌劇』昭和7年1月号より「宝塚バライエティ公演!」。宝塚文藝図書館が開館した昭和7年1月1日は、古川緑波が宝塚中劇場で初舞台を踏んだ日でもあった。ロッパは、岸田辰弥作『世界のメロディ』に山野一郎とともに出演。宝塚の男性出演が話題になったものの、公演そのものは失敗に終わった。

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先日出かけた『生誕120年東郷青児展』では、京都駅前の丸物百貨店の六階大食堂をともに飾っていた壁画、藤田嗣治《海の幸》と東郷青児《山の幸》(いずれも1936年制作)が並べて展示されていたのがとても嬉しかった。

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戦時色一色の日中戦争の年の森永製菓の『漫画学校』より、弓田宇佐「皆さんはどれにしますか」。慰問袋に何を入れよう、そうだ、飛行機、磁石、森永ミルク缶、風船を入れよう! く、くだらな過ぎる…。

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中野晴行著『手塚治虫のタカラヅカ』(筑摩書房、1994年4月)。宝塚歌劇の舞台そのままの胸躍る表紙画は『双子の騎士』より。昭和8年に宝塚に居住した手塚治虫少年、阪急電車に乗って出かけたモダン都市大阪はまさに「メトロポリス」だった。

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丸善のPR誌『学鐙』は、文房具の広告を眺めているだけでも愉しいなあ。たとえば、昭和13年2月号には、「ステッドラー製シャープペンシル」「鋼鉄製レターケース」「ゾンネッケン製穴明器」「丸善特製製図機」。

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明治製菓のPR誌『スヰート』昭和8年12月25日発行号の表紙は硲伊之助、同号に川端康成が「キヤラメル兄妹」を寄稿(全集19巻に収録)。明治製菓銀座売店を舞台にした童話で宣伝として絶品の1篇。内田誠宣伝部長はさぞご満悦だったことだろう。

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