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昨日は #写真の日 でしたね📷梅屋庄吉は映画ビジネスを始める前、香港で写真館を開いていました。庄吉が27歳のとき、写真館を訪れた孫文と出会います。志が同じ二人は意気投合🤝孫文の熱い想いを知った庄吉は、孫文を支援することを誓いました☺
長崎の春の風物詩「ハタあげ」で有名な金比羅山⛰ここには梅屋庄吉のこんなエピソードが残されています。庄吉が14歳のとき、長崎で悪事をくり返す集団がいました😥庄吉は彼らに挑戦状をたたきつけ、金比羅山で決闘!庄吉率いる80人に対し相手は120人でしたが、気合で圧倒した庄吉たちが勝利しました😃
今日はフィリピンの独立記念日です🇵🇭孫文の革命支援で知られる梅屋庄吉。実はフィリピンの独立運動も支援しました。独立宣言直後に撮影された写真には、笑顔でくつろぐ彼らの姿が残されています☺️中央で膝枕してもらっているのが庄吉。「世界中の人が兄弟である」という庄吉の想いが伝わってきます✨
「ここの娘ですたい」「何ば言いよっとか、オイが息子の庄吉ぞ!」初対面は衝撃的(笑劇的?)な出会いの二人でしたが、ほどなく病床の父のたっての願いを受け夫婦となりました。人情に厚く、困った人は放っておけない性格の庄吉とトク。似たもの夫婦でもあったんですね☺️
今日紹介するのは庄吉の子ども時代のお話👦🏻成績優秀だった庄吉は10歳で小学校を卒業します。3月20日、卒業してすぐ一人旅に出た庄吉が向かったのは「大阪」でした!家のお金、”金300円”をこっそり持ち出して…これは今の価格でなんと200万円以上の大金‼️10歳とは思えない大胆な行動力にびっくりです😳
辛亥革命から100周年にあたる2011年には長崎歴史文化博物館で特別企画展が開催されました。その3年後「長崎近代交流史と孫文・梅屋庄吉ミュージアム」を併設しリニューアルオープンしたほんしゃん。孫文と庄吉の国境をこえた友情の想いは現代に引き継がれています!
中国の国父として尊敬される孫文と、一切の見返りを求めず彼を支え続けた梅屋庄吉。2人のエピソードはまだまだたくさんあります。困難な時代でも国境を越えて結ばれた、深く強い友情の輝きは褪せることなくこれからも受け継がれていくことでしょう🍀続きはぜひミュージアムで!お待ちしております😊✨
【11月は友情月間】1911年、武昌で起こった戦いが中国全土に広がり、17の省が清国から独立を果たします。これが辛亥革命です。庄吉は撮影隊を派遣し、革命軍の戦いを撮影したものを孫文に見せます。感動した孫文は何度も上映を頼んだそう☺️孫文にとって素晴らしい贈り物だったことが伝わりますね🎁
【今日は電報の日】2020年は電報が誕生して150周年🎊明治初期、新しい通信手段として国内に普及しました。長崎では日本で初めて海底通信ケーブルが海外との間に敷かれ、世界の情報がいち早く入ってきました🌐電信の仕組みや資料は3階の展示室でご紹介しています😉