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夜間防空訓練の様子
「必殺の防空陣」とのタイトルで「海洋少年」昭和19年新年号にて紹介されており"敵機を追う探照燈の光芒"との表題が付けられています。
110㌢探照燈は2里から2里半先まで照射したとあります。
ただ海戦で使うには、距離的にあまり役に立たない事例も多く、更に敵に自らの位置を(続)
「時雨」
停泊中の姿を記録した一枚です。
昭和19年本日、渾作戦におけるビアク増援作戦に参加した同艦は早朝3時半にニューギニアのソロンを出撃、途中、空襲により僚艦「春雨」が沈没しますが、更に進軍を続け、真夜中にビアクの揚陸地点にたどり着きますが、僅か12,000m先に敵艦隊が展開しており(続)
「大和」就役日ですね。
合理的視野で先の大戦の敗因を分析し、連合国学者からも称賛された「チハヤ・ノート」の筆者である元連合艦隊参謀の千早正隆さんは真珠湾攻撃時「武蔵」の艤装員の立場で、航空戦力の華々しい活躍を目前にしても隣の「隼鷹」の建造速度が変わるでも無く相変わらず「武蔵」(続)
対空戦闘中の「高雄」
竣工時は12㌢単装高角砲を2基装備していた本艦ですが、開戦後の昭和17年の今月になって12.7㌢連装高角砲4基へと換装し、対空戦闘能力を向上させます。
戦闘中の12.7㌢連装高角砲を捉えた一枚で、高角砲本体の様子のみならず、防護板裏側の形状等が確認できるのも興味深いですね。
ルンガ沖で華々しい活躍を見せた「親潮」はその後、敵の攻撃を一身に受けた「高波」乗員の救助を「黒潮」と共に命ぜられますが、残魚雷のほぼ無い中、敵艦が出現し救助を断念。
その活躍とは裏腹に、明日は我が身との重苦しい空気の中、艦橋では「高波」への黙祷を捧げたとの乗員の証言が残ります。 https://t.co/ouxFvMOiMX
昨日が小松崎茂画伯の生誕日という事で今年はこの作品を観ましょうか。
「秋月」
駆逐艦作品は珍しくて本艦以外には「雪風」が有名ですかね。
1977年サントリーの「軍艦カレンダー」の中の一枚です。
多くの作品は水彩とポスターカラーで描かれますが、これはアクリル絵具も多用した作品との事です。
7月19日 連合艦隊生誕日
東学党の乱に乗じ条約を破り半島への派兵を始めた清との海戦が不可避となり、軍令部官房主事の山本権兵衛は艦隊運用向上と士気発揚のため、老朽艦から成る「警備艦隊」を「西海艦隊」に改め、主力艦隊である「常備艦隊」を統合し「連合艦隊」を組織しました。
小松崎 茂画伯
昭和20年の4月7日は所謂大和沖縄特攻、坊ノ岬沖海戦の日。
東郷元帥を敬愛する敵将スプルーアンスは当初、東郷の末裔たる日本海軍に敬意を表し艦隊決戦で大和に引導を渡そうと希望するも叶いませんでした。
小松崎茂画伯
昭和63年東京展出展
最大作品「戦艦大和の最期」
次は珍しいモノクロ作品の大和
芙蓉部隊。
隊長 美濃部 正少佐は難整備故に敬遠された彗星艦爆と水上機搭乗員を集め異色の夜襲隊を編成。
難しい水冷動力整備学習に整備員を愛知航空機へ派遣し高稼動率達成 また練度向上の為徹底した昼夜逆転生活、夜間渡洋訓練、座学も奨励し終戦まで連夜の沖縄米軍基地攻撃を敢行し活躍しました。