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宇治川の戦いで大鎧着用で奮戦した筒井明春はそれこそハリネズミになるほど敵に矢を射込まれ、後に数えてみたらその数なんと62本、十数カ所に傷を負ったものの致命傷はなし。騎射で23人を倒し、8人斬ったところで薙刀が折れ、太刀でさらに4人を斬った
まるで東部戦線のティーガーのような強靭さですね https://t.co/gvh4Ak7UWc
騎乗の剣と徒立の剣
騎馬武者に限らず、世界中の騎兵が右片手打ちの剣を使っていた。しかし騎乗戦に特化した剣は柄が短く先重りがして地上での巧妙な運剣には不適だった
そこで馬から降りた時に不覚を取らぬよう、心得のある武士は騎乗用と徒立用の両剣を携帯する場合もあったと言う
「馬上武芸」より
犬追物射(いぬおうものい)
知ってはいても絵で見るとショックですね。一つ救いがあるとすれば、当時も犬が死ぬのは不吉とされていて、当たりが柔らかくなるように、弓は弓力が弱いものを使い、鏑も大きくして矢勢を削いでいたようです
下図の鏑は小さいですが、実際には全長40cm近い鏑も使われました https://t.co/ZAjauSnA6b
明治陸軍は洋式騎兵戦術、馬術を導入したが、旧幕中の武士は従来の馬術から脱却できず、また完全な洋式馬術は、体格的に日本人には無理があり「騎兵乗り」という和洋折衷の乗り方が生まれた。映画「七人の侍」ではみごとな「騎兵乗り」を見ることができる。元騎兵連隊の将兵が出演していたのだと思う