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支線を走る、時速110km/h出せる台湾鉄道の気動車DR1000擬人化。二年前になめこ栽培キットとコラボしたなめこ車掌ラッピング列車が台湾中部の集集線を走りました。この娘のかばんについたストラップの一つもなめこになってます。
日本からの賠償艦のなかで一番最後頑張ったのは1971年解体の丹陽(ゆきかじぇ)、でも軍歴一番長かったのは武陵(白埼)ですね(*´ω`*)1948~1970の間海軍にいました。(丹陽は1952年就役)隅に置けないちびっ子
ここでバトルシップ信陽艦の紹介。初梅が上海に着いたら信陽に名付けられ即戦力として再武装して中華民国海軍に就役。初めての任務は沿岸部の海賊の撃退でした。この時からオーバーキル娘。
台湾の陽々拾遺集の解説その二。1947年に上海に来た雪風ですが航行はできるものの、機関部に不調があったらしい。そして1949年に大陸から台湾海峡の澎湖諸島へ撤退した時に座礁して、ドック入りどころか船体各部の損傷がひどくなってきた。
台湾の陽々拾遺集の簡単な解説をさせてます。汾陽(宵月)の修理順位は雪風と同じレベル、最優先でした。浦賀の技師を招いても経費の理由で修復は叶わず、左営軍港で停泊練習船になりました。
淡々と仕上げていく台湾の陽々拾遺集。てか雪風の損害が激しくて、完治するまで一年また10月の時間を費やしたらしい(^_^;) その間、信陽が獅子奮迅してるーッ!
塗ってもらった夏コミの新刊表紙です。丹陽を中心に6つの太陽を並べました。右上から時計回りの順で華陽、信陽、恵陽、汾陽、衡陽と瀋陽。