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三菱一号館美術館「印象派 光の系譜」ジャン=パティスト・カミーユ・コロー《モルトフォンテーヌ、小さな柵へと続く道》1850年代 宗教画を思わせるような人が描かれている。
戊辰戦争 寛永寺 徳川慶喜
大政奉還後におきた鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍惨敗。慶喜は大阪城を脱出、開陽丸で江戸へ。逃げたと悪評がたつが、上部の解説には、その後、寛永寺に謹慎し戦わなかったことを評価する記載がある。「錦絵にみる明治時代」神奈川県博展示より
百獣の王といわれるライオンが、科博の大地のハンター展にて展示。ライオンを鎮める女神。トーハクの吉田博が描いた《精華》のライオンと、食物連鎖の高次捕食者としてのライオンの比較。
女神の違和感
揃えた足のバランスがおかしい。指さす手の指… 顔の立体感… 延ばした腕と垂らした腕のバランス。純潔を表すユリ。持ち方、茎、花おかしくない?背中が伸びすぎ。凛とした様子を表したのだろうけど不自然。この体勢の下向きの力と足方向の力の分散具合がチグハグ。
期待外れ… だったのですが、目についたのが、眠っている雌ライオン。肢体や肉球がより細やかに描かれています。雄雌のライオンや女神を、例えて語られますが、私はこの雌ライオンが吉田博ではないかと思いました。警察、白馬会など騒がしいけども、そんなことは関係ない。我が道を行く…みたいな(笑)
ところが、素晴らしい絵に違いないと想像が膨らみすぎ、あれ?状態に。上野動物園でスケッチした話から木島櫻谷のライオンを想起し、油絵ながら日本画の毛描のような毛がみっちり大画面を占めていると信じてました。ライオンの表情も櫻谷を超える人間的な、なんとも形容しがたい表情をしているはず