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それが今の自分の演技に反映されてるんだろうと、出戻った八重山支部で話したところ、かつての八重山時代を知らない面々は感心してましたが、当時を知ってるメンバーには「当時からそんな感じだったよ?」と返されました。
とはいえ、今のネガティブを避ける要因になったんだろうなと思い返しています
それからの私は、このさやかを笑わせることが、大学卒業までの目標となりました。
不必要に踏み込みすぎたり、変な掛け声をあげたり、妙なテンションで最前線にたったり。
それでもさやかを笑わせることは出来ませんでしたが、観客や他のメンバーを沸かせることができました。
福岡支部に、演技中まったく笑わない「さやか(仮称)」が入団してきました。
ある日「楽しい楽曲の時は笑顔でいようよ」と言ったところ、別の中堅メンバーから「それを作り出すのが俺たち先輩の仕事なんじゃないかなぁ」と逆に諭されました。
かつて私は「琉球國祭り太鼓」の八重山支部と、大学時代に福岡支部に所属していました。
スカウトから始まり、新しい曲の習得やお客さんの反応に楽しさを覚えながらも、自分ならではの目標を見出だせずにいました。