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重巡洋艦「高雄」の艦上写真で1~2枚目はS19.4~5頃、3枚目は撮影時期表記無し(錨甲板の日の丸からS17中旬~S18上旬頃?)。4枚目は1の一部を拡大したものです。どういうわけかボラード上面の内側の半分くらいを白く塗装しているように見えます。「高雄」以外でこんなのは見た事無いのです🤔
硫黄島への輸送で喪失した二等輸送艦は全部で9隻でそのうち7隻が敵との交戦や荒天により同島で擱座及び沈没しています。写真で確認出来る硫黄島南海岸の6隻の艦名は市販書籍や戦時日誌の記述と喪失の順番を考えるにこのようになりました。残る第152号は全没もしくは別場所なのか確認出来ず。
@R3tn7SAi 形態は今で言うところの強襲揚陸艦ですね。熊野丸は現・尾道市因島の日立因島造船所で昭和20年3月31日に完成しました。直前の19日に空襲を受けた時のムービ―が複数残されてます。完成後は使用の見込みがなく金輪島に係留されたまま終戦を迎えたようです。
1945.7/24撮影の航空戦艦伊勢へ攻撃中の記録写真で
音戸防空砲台から北側に伸びる尾根上に
25㎜単装機銃装備らしき陣地が3個写っているのが
ずっと気になっている。
戦後撮影の写真では終戦までに北側へ2個増やした
様にも見えるが、段々畑がすぐ傍にあるような場所に
造られるものなのだろうか?