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演技と音楽が幸福にとり結ばれた近年の佳作を3つ。悲劇に寄り添うことをせず、悲劇を笑い飛ばす音楽!
●アメリカン・ユートピア
音楽:デヴィッド・バーンfromトーキング・ヘッズ
●アネット
音楽:スパークス
●室温~夜の音楽~
音楽:在日ファンクfeauturing伊藤ヨタロウfromメトロファルス
「見る-見られる」という観客と役者の根源的な関係性、ひいては映画というメディアそのものを問うている。見る側の人々は群れになって無自覚に暴力性を携え、見られる側の一人ひとりを追い詰めていく。はたして私はどちらに?一瞬一瞬が見逃せない程に美しい!(「アネット」レオス・カラックス監督)
三次元の動きや音の連なりを欲望するイラストレーションがある。ますむらひろし『アタゴオル』は、映画『銀河鉄道の夜』1985という宇宙を引き寄せた。たむらしげる『PHANTASMAGORIA』には、映画『クジラの跳躍』1998という息吹が吹き込まれた。後者の音楽は手使海ユトロ、主題歌は原マスミ。
困り果てた蓮音は区役所の福祉部に教えられた児童相談所にだって電話したのだ。けれども、行き違いが重なり助けてもらう機会は失われた・・・(略)・・・彼女は社会から見捨てられ、そして、そう思いたくなくて、自分からも社会を捨てた。(山田詠美「つみびと」/横尾忠則・画,日経夕刊2018/12/21)
太陽の中には赤い牝犬が住んでいて、この牝犬が悪い神の勧めで太陽に咬みつくと、太陽は黒くなって行く。牝犬が咬みついた太陽を放すように人は戸外に出て地上から天に向かって「バガシュ(赤い牝犬)」と叫びながら、木片や鍋などを叩いて大きい音をたてるのである(蜂飼耳「ニヴフ族の神話から」)
格差を既得権益者は温存させたいだろう。それを黙認する社会体制にあって、搾取される側は人間としての尊厳を剥奪され続ける。人間でいたかった、という最期の呻き声が国家や他者に聴かれることはなく、感染症の発症でしか抗えない。『ソウル・ステーション・パンデミック』俱多楽湖2017/11/3
I just had to trust imagination My heart going boom, boom, boom(Peter Gabriel "Solsbury Hill")寵愛を受けた鳥は今にも飛び出しそう。