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弟橘媛、おとたちばなひめ。
元々は伊勢神宮の巫女さま。かの勇猛なる日本武尊ヤマトタケルに従って走水の海に至った時荒れる海を鎮める為に入水、献身の権化とされています。
日本画という呼び名は明治時代に生まれました。それまでは大和絵。
唐絵に対する言葉。西洋画が入って来るようになる頃、日本画という意識と言葉が生まれたのです。
春の院展、絵師天山の初入選は、第35回展。麗岩宿影、と書いて
いわかがみ、と読まセタ、、美術大学三年も浪人した愚息を応援し続けてくれた父に画題を付けてもらいました。
近くの川辺で画因を求めていた頃、水に影を宿す岩に惹かれて、、
摩訶不思議なる超能力に心底魅了されてしまっていたのです。晴明様に近づきたいというエネルギーと受けた感化によって源氏物語が生まれた事は確かです。そして、この現代にかつての友人であった私がこうして顕彰して差し上げることが出来たのは、誠に幸いな事と言うべきでありましょう。