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先日、佐久のみなさんにお願いした1947年 素描『佐久より見た八ヶ岳』を描いた現場写真です。こい太郎さんが撮影して下さいました。奧村土牛記念美術館の裏庭から眺めた八ヶ岳です。写真で裏付けが出来ました。有難うございます。奧村森
おはよ☀️1939年作品『八瀬の牛』。友人の画家、酒井三良子(さんりょうし)、太田聴雨と京都画壇の小林柯白を訪ねた。茶屋で休憩していると、庭に八瀬の農家から牛を連れて来てくれた。それを描いた作品だよ。柯白は胃潰瘍で48歳の若さで他界したんだ。写真は、この年の土牛だよ😺土牛研究員クロ
おはよ、お願いがあるんだ。添付した2枚の絵を描いた場所を探してもらえない。1947年に佐久で描いた土牛記念美術館所蔵の作品だよ。見つけたら写真撮って報告してくれる。お礼は出来ないけど、取材者署名入りで奧村土牛資料室の記事として掲載するよ。みんな、一緒に土牛研究員になってくれない。クロ
おはよ🌟1929年作品『蓮池』。「一遍蓮を描いてみたかった。今はないが、芝増上寺の筋向いに観音堂のある蓮池があった。鷺は想像で組み合わせた。この年に結婚したが、結婚する年に蓮を描くとはと、皆に縁起でもないと笑われた」土牛談。この作品で日本美術院の院友になったんだよ😺土牛研究員クロ
おはよ🌟1925年素描作品『風景』。この頃、土牛は穏やかな町の風景をよく描いている。大震災の傷跡を目の当たりにしながら、あえて平静を保っていたように見える。日本美術院課題研究会が再開され、出品した作品『鳩』が入賞、賞金15円をもらったんだ。土牛記念館に所蔵されているよ😺土牛研究員クロ
おはよ🌟「土牛記念美術館の維持が困難で続けられるか分からない」と内藤さんから聞いたよ。お父さんが死んで約30年、『奧村土牛』という名も知らない人が増えたから仕方ないけどね。だからカッちゃん、SNSで懸命にお父さんの情報を発信しているんだ。それにしても美術館にある作品の未来が心配🐱クロ
戦後、土牛の院展作には「雪の山」「緋鯉」「仔山羊」「聖牛」など、疎開先の長野県で描いた題材が多い。疎開先の南佐久は、土牛にとって題材の選択に限界があり、身のまわりのモチーフを写生するしかなかった。懸命に画道から距離を置かないよう努めていたのである。
作品『聖牛』と『雪の山』