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信長や重要な客人だけが廊下橋を使い
他は下台所からぐるりと回って現在天守閣入り口となっている部分から入ったのではなかろうか
この部分の石垣は池田時代と考えられ今回は直接立ち上がるように再現してみました
三階構造で二階からは北側へ出られる入り口
いわゆる裏門へとつながっていたと考えた
駿府城豊臣天守
では城主だった中村氏のついて
関ケ原の後米子城に転封になり大天守を築きます
(息子一忠の代ですが)
一階が10間×8間で想定する駿府城天守より一回り小さい
そして黒い
最上階は後に雨覆いがつけれたのでしょう
画像は金澤先生復元、三浦先生監修のファセット製キットです