//=time() ?>
【郭嘉の功績】
この後の呂布討伐や、情勢定まらない中原での袁術、劉備、孫策、劉表の動きについても郭嘉は見事な見解を示し曹操を支えます。
また袁紹没後の後継者争いの行方も見事に言い当て、袁譚との折衝や冀州平定にも功績を挙げました。
操の元へ来る前には袁紹(えんしょう)の元を訪れています(当時の情勢から見てまず袁紹に、というのはごく当たり前の事でした)。
しかし袁紹の器量に失望し、同郷の郭図や辛評に「あの殿様は駄目だ」と袁紹の欠点を伝えて去ったそうです。
夏侯惇は学問が好きで、前線にも師を呼んで時間の合間を見て講義を受けたほか、金銭に淡白でお金が余ると周囲に施していました。同族の曹洪が金貸しなどで利殖に励んだのと違い夏侯惇は金に困れば人から借金し、後で返すなど利殖をしませんでした。
【曹操の分身!夏侯惇(かこうとん)の生涯】
夏侯惇は曹操と同じ譙県の出身です。
正史に名が出てくるのは、曹操が参加した反董卓連合軍からでそこから、曹操が死去する年まで途切れる事なく忠義を尽くし曹操の分身として特に重く用いられました。