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パワポ絵で描いた大江広元。 広元は、成人してから泣いたことがなかったのに、実朝が鶴岡八幡宮に出発するとき、なぜか涙を流したらしい。そして実朝は公卿に討たれた時、「広元やある」と、広元を探したらしい。
パワポ絵で描いた三善康信。子孫も問注所の執事を代々務めた。三善康信のすがたかたちは手がかりがなかったので、石ノ森章太郎先生の『マンガ日本の歴史』のなかの文官っぽい人を三善康信だと思い込んで描いた。『マンガ日本の歴史』は構成や演出がすばらしいのですよ。
パワポ絵の二階堂行政。容貌の資料がないから、社会の資料集みたいなやつの鎌倉時代の人を勝手に二階堂行政とみなした。建設に携わった永福寺の近くに住んでいて、永福寺のお堂が二階建てだったから二階堂と称したらしい。じゃあそれが東京タワーだったら、赤電波行政とかだったんだな。
これはパワポで描いた北条義時。わしのパワポ絵の歴史としては初期の作品だ。初期というか、パワポ絵をはじめて一日目の作品だ。
パワポで陳和卿を描いた。いちばん苦労したところは人相の資料がないところ。石ノ森章太郎先生の『マンガ日本の歴史』を参考にした。実朝のために船をつくったのに、海に浮かばなくて由比ガ浜の海岸で朽ち果てたらしい。実朝残念だったな。でも現在に伝わる鎌倉彫は陳が教えてくれたらしい。
パワーポイントで熊谷次郎直実を描いた。 馬は権田栗毛。 ケガをしているのに、一の谷から熊谷のワークマンのほうまで帰ってきた伝説の馬だ。
畠山重忠を描いた。 わしのパワーポイント画の力作だ。
三浦義村を描いた。 絵を描くアプリはわからないので、もっぱらパワーポイントで描いている。