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図面で見ると天神平付近はこんな感じ。主要郭以外は場当たり的に平らな場所を作りまくった…という感じで、イマイチ全体としての設計意図がないような印象を受ける。東南麓の郭群が横堀や土塁、虎口を備え、明確な階層性を有するのとは対照的。村上市「村上城跡縄張り図」(2020)ヨリ抜粋
6)相川御茶屋
明治元年絵図のアバウトな描写以上の情報がなかったのだが「越後村上藍川御茶屋絵図」の発見により、初めて詳細な内部構造が判明。大きな池とされていたのは築山と、それに続く段丘崖線であった。地道な資料調査の大切さを改めて感じた箇所。詳細は以下↓
https://t.co/rD0iPSdgUZ
4)武具蔵
大型の蔵3棟と番所があることは「村上御城廓」の記述からわかるのだが、問題は「曲リ作リ」と記された1棟の解釈。テキトーに一旦配置しておいたわけだが、「享保2年間部家絵図」より、西側塁線に這わせた構造だったとわかたので修正。
パノラマ用と割っ切って、枡形内から見える範囲だけ作ってるわけだが、高麗門を裏側から近距離で見るアングルになるため、結局大量の部材を作らねばならん。意外と軒裏の組み方が複雑である。
東麓出郭群。外枡形を有する東虎口の下位に位置する郭群である。切岸、空堀といった遮蔽系の遺構が明瞭に残るが「曲輪」と言えるようなはっきりした削平地が見出し辛い。また、東虎口につながる虎口が外縁部にあったはずだが、土取りのため消失している。それっぽい形状をテキトーに作っとくか???
エセ本庄城つづき。近世「村上城」への改修により、特に主稜線上の郭形状がよくわからんわけだが、「瀬波郡絵図」の建物配置や、近世初頭の城絵図における地形描写、ここ数年の発掘調査を踏まえるとこんな感じか? 一応整合的な説明がつくようにはしておきたいところ。#村上城 #本庄城
冠木門枡形に嵌まってる「丹後石」。いわゆる鏡石であるが、人柱が埋まってるとか、抜け穴の出入り口であるとか、例によって出所不明の伝説の類がついて回る箇所でもある。
#既出でもいいからTLを石で埋めよう #村上城