//=time() ?>
水木しげる氏『劇画ヒットラー』の執筆を助けた後藤修一氏の遺稿集『我がオタク人生に悔いなし』に、「「劇画ヒットラー」の真実」という一文があり、そこに高校生の後藤氏がどのように水木氏をサポートしたのかが書かれています。御興味のある方は是非。
「後年、三島氏の死後、一面識も無い似非右翼が「我々は三島先生のご精神を体現し」等と叫んでいるのを見て皮肉なものだと思いましたが」(「なぜ余は銀玉戦争を戦うのを止めてヒトラー研究家となりしか」『後藤修一遺稿集「漫画の手帖」編-我がオタク人生に悔いなし』)
頂き物の『後藤修一遺稿集「漫画の手帖」編 我がオタク人生に悔いなし』を読む。
「最初、僕が「三島先生」と呼ぶと「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」とおっしゃって、三島さんと呼ぶように訂正されました」(「なぜ余は銀玉戦争を戦うのを止めてヒトラー研究家となりしか」)
「貧乏白人が手前の低能さを棚上げして、愉快に生きようと思ったら、あっという間にマーチ好きのバカが一匹出来上がる。どこに行っても変わらねぇ法則だ」(Black Lagoon)→わし(名誉白人)