敗者の歴史に光あれさんのプロフィール画像

敗者の歴史に光あれさんのイラストまとめ


敗者の歴史や埋もれた歴史を知り、その土地を訪ね、思うことが好きです。幕末~明治/不平士族/西南戦争/西郷隆盛メイン。『八重の桜』に関わる会津を時々。好きな人は増田宋太郎。「敗者」とは志高く時勢に抗いながら敗れ去っていった「記憶に残る」人々。敗者感が漂う本や映画、美術の雑感も

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休日。久しぶりに外出し「小磯良平美術館」へ。類い稀なるデッサン力、戦後前衛芸術の影響を受けつつ再び写実に回帰する画家の苦悩や再生を感じました。また一昨年亡くなられた八千草薫さんの肖像。八千草さんはこれを大変気に入りずっとリビングに飾っていました。御遺志により寄贈されたそうです

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9月6日西郷菊子命日

一かけ二かけ三かけて
四かけ五かけ橋をかけ
橋の欄干腰をかけ
遥か向こうを眺むれば
十七八の姉さんが
花と線香手に持って
姉さん姉さんどこへ行く
私は九州鹿児島の
西郷隆盛娘です
明治十年戦没に
切腹なされた父上の
お墓参りに参ります
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏で

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明治10年コレラの流行。長崎から9月15日鹿児島に到達。下旬には大阪・兵庫・熊本・和歌山で患者発生、10月一気に拡大した。これは西南戦争後の兵士の移動による。10月18日には全国14カ所に「避病院」設置。11月に病勢は衰えた。患者数13,816人(死亡8,027人/死亡率58%)。一年おいた明治12年に大流行する

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海音寺潮五郎は大久保利通について「彼は最も薩摩人らしくない薩摩人であった。しかし、決して死を恐れないこの点においては醇乎たる薩摩人であった」と
語った。こんな言葉は生粋の鹿児島人にしか出てこないだろう。他の鹿児島人たちも一人一人の息遣いを聞くような生々しさで動いている

杉森久英

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