敗者の歴史に光あれさんのプロフィール画像

敗者の歴史に光あれさんのイラストまとめ


敗者の歴史や埋もれた歴史を知り、その土地を訪ね、思うことが好きです。幕末~明治/不平士族/西南戦争/西郷隆盛メイン。『八重の桜』に関わる会津を時々。好きな人は増田宋太郎。「敗者」とは志高く時勢に抗いながら敗れ去っていった「記憶に残る」人々。敗者感が漂う本や映画、美術の雑感も

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休日。久しぶりに外出し「小磯良平美術館」へ。類い稀なるデッサン力、戦後前衛芸術の影響を受けつつ再び写実に回帰する画家の苦悩や再生を感じました。また一昨年亡くなられた八千草薫さんの肖像。八千草さんはこれを大変気に入りずっとリビングに飾っていました。御遺志により寄贈されたそうです

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9月6日西郷菊子命日

一かけ二かけ三かけて
四かけ五かけ橋をかけ
橋の欄干腰をかけ
遥か向こうを眺むれば
十七八の姉さんが
花と線香手に持って
姉さん姉さんどこへ行く
私は九州鹿児島の
西郷隆盛娘です
明治十年戦没に
切腹なされた父上の
お墓参りに参ります
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏で

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西南戦争。明治10年4月14日籠城60日、官軍は遂に熊本城入城を果たす。一番乗りは会津出身の山川浩中佐。会津籠城戦では政府軍の包囲を彼岸獅子の姿で堂々と入城する離れ業を演じた。それから10年、今度は官軍の先鋒として仇敵薩軍の囲いを突破。戦争の画期であったが、諸史料の扱いは驚くほど小さい

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4月8日は「忠犬ハチ公の日」。そして犬と言えば西郷さん。池田芳宏『西郷隆盛と愛犬』(敬天愛人35号所収)によると、愛犬は「ツン、ユキ、トラ、サワ、ソノ、シロ、クロ、ゴン、テツ、ソメ、ゴジャ、ヤマ、カヤ、ハヤ、ブチ、チゴ、ツマ」の17頭。こうしてみると、ネーミングセンスがいかにも西郷さん

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明治10年コレラの流行。長崎から9月15日鹿児島に到達。下旬には大阪・兵庫・熊本・和歌山で患者発生、10月一気に拡大した。これは西南戦争後の兵士の移動による。10月18日には全国14カ所に「避病院」設置。11月に病勢は衰えた。患者数13,816人(死亡8,027人/死亡率58%)。一年おいた明治12年に大流行する

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最近『八重の桜』を見ています。まだ最初の方ですが『西郷どん』で大山綱吉を演じた役者さんが秋月悌次郎役で登場し驚きました。秋月は晩年南洲墓地を訪れ「旧知の西郷大山に弔す」と題した歌を残しているからです。その調べは淡々としながら、極限の辛酸を嘗め尽くした彼の魂の絶唱歌のように感じます

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11月25日三島由紀夫「憂国忌」
8時に起床し『豊饒の海 天人五衰』最終稿を新潮社に渡す手筈を済ますと「楯の会」制服に着替え自宅前で迎えの車に乗り込む。車内では『唐獅子牡丹』を歌った。10時55分市ヶ谷駐屯地着。三島は軍刀を提げ、垂れ幕などの入ったアタッシュケースを持ち正面玄関に向かった

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海音寺潮五郎は大久保利通について「彼は最も薩摩人らしくない薩摩人であった。しかし、決して死を恐れないこの点においては醇乎たる薩摩人であった」と
語った。こんな言葉は生粋の鹿児島人にしか出てこないだろう。他の鹿児島人たちも一人一人の息遣いを聞くような生々しさで動いている

杉森久英

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明治9年10月士族反乱が相次ぐ。24日熊本神風連、27日福岡秋月党、28日山口萩の乱、29日東京思案橋事件。いずれも政府軍が短期間で鎮圧したが、中でも神風連の乱は一際異彩を放つ。「反近代思想の純粋性、政治的というよりも信仰上の戦いという意味において極めて特異なものであった」とは橋川文三の言

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と聞いて思い浮かぶ顔はキヨッソーネの油絵。実物は失われ石版画が伝わり、「西郷公(従道のこと)許可」と刻印されている。この肖像は上半分を従道、下半分は大山巌をモデルにしたとよく言われるが、下の写真は合成したフォトモンタージュ。キヨッソーネの西郷と似ているだろうか

石黒敬章

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