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ピーナッツは、それまでの4コママンガと違った。読み切りのコントではなく、ピーナッツという大河ドラマの一場面を切り取ったような感じだった。4コマの外側に世界が広がっていたのだ。今ではそうした4コママンガも多い(日本では、いしいひさいちが最初だろう)が、それはシュルツの発明だったのだ。
「ミス・サイゴン」が25周年だそうだ。日本のミュージカル・シーンにとって重要な作品だと思うが、私は好きではない。フランス人が「ベトナム戦争版の“蝶々夫人”ってイケるんじゃない?」という思い付きで書き、イギリスで上演された、ベトナムとは関係のない人達によるベトナム悲劇。志が低いと思う。
私がもう一つ「もののけ姫」から連想するのは「逆襲のシャア」だ。この両者、似てませんか?「どちらが善とも悪とも言えない2つの勢力」が対立し、その決着は歴史の波に呑み込まれて行く。クライマックスを意図的にカタルシスにせず「混沌」のまま投げ出している定石から外れた作劇も似ていると思う。
「もののけ姫」を観た時に何処かスッキリしない気持ちになるのは、普通の映画のような「対立の決着」というカタルシスがないからだ。森を守ろうとするもののけ姫や乙事主たちと人間を救う為に森を破壊しようとするエボシ。だが両者の対立は、国家というより巨大な暴力に飲み込まれ押し潰されてしまう。