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#百人一首の日
42番『契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは』清原元輔
✅吉田東伍はこの〝なみ〟は津波であると断言。
【末の松山】は津波にのみこまれて記憶され、詠われたのではなく『波越えしなかった』場所だからこそ記憶され、歌枕になった。
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#東日本大震災から8年
吉田東伍は1906年発表の論文で、百人一首「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(清原元輔)の「なみ」とは津波のことであり、多賀城近くの小さな丘こそがその場所であるとし、歌枕の末の松山は貞観地震でも津波が越えなかったから歌枕になったのだと明言。