阿賀野市立 吉田東伍記念博物館さんのプロフィール画像

阿賀野市立 吉田東伍記念博物館さんのイラストまとめ


『大日本地名辞書』を独力で編さん「日本歴史地理学のパイオニア」と呼ばれる吉田東伍。世阿弥伝書の発見で近代能楽界に画期的貢献をするなど「マルチ・在野・独学」の超人学者。…彼を産み育んだ故郷の町並みの中に建つ小さな博物館。
☎ 0250-68-1200
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42番『契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは』清原元輔 
✅吉田東伍はこの〝なみ〟は津波であると断言。
【末の松山】は津波にのみこまれて記憶され、詠われたのではなく『波越えしなかった』場所だからこそ記憶され、歌枕になった。
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(現物パネルの写真では解りづらいところもあったので…)
参考【日本の粘土瓦産地分布図 】(当館が2004年、当時の情報で作成した瓦産地)
本図には、その後衰退し1~2窯元で操 業している「産地」、既に消滅している産地 も含まれています(『安田瓦』以北に図示ある産地も今はありません)。

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吉田東伍は1906年発表の論文で、百人一首「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」(清原元輔)の「なみ」とは津波のことであり、多賀城近くの小さな丘こそがその場所であるとし、歌枕の末の松山は貞観地震でも津波が越えなかったから歌枕になったのだと明言。

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