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【19世紀のクリミア戦争の余波】
この戦争は極東にも飛び火します。英仏艦隊はカムチャツカ半島のペトロパブロフスクを1854年8月から9月にかけて砲撃したのです。画像は『イリュストラシオン』1855年10月27日号(当館蔵)。
【展示資料より】
中央に描かれるのは、拍子木をもった町人体の男性。
許しを乞うように右手をあげています。
東禅寺には警備の武士(幕臣・大和郡山藩士)もいたのですが、ここには描かれません。
なぜ、町人を画の中央に据えたのか、少し興味をそそられます。
【企画展より】
測量艦マリナー号の船員を描いた肉筆画の別の1枚です。「太鼓打」が持っているのは遠眼鏡でしょうか。衣服の色合いもあざやかです。こちらは残念ながら『図説日英関係史』には未掲載。
#七つの海を越えて
【企画展「七つの海を越えて 開国前後の日本とイギリス」より】
嘉永2年(1849)閏4月8日、浦賀に来航したイギリス海軍測量艦マリナー号の「船将」たちを描いた肉筆画です(当館蔵)。開港以前に外国人を描いた絵画はめずらしいのです。『図説日英関係史』にも収録しています。
#七つの海を越えて
【企画展より】
ラッコの毛皮は中国で高値をつけたことから、欧米の商人たちはそれを広州(当時の中国の貿易港)に持ち込みます。その過程で、日本市場にも可能性を感じたイギリス船が毛皮を積み日本に来航します。1791年のアルゴノート号です。*画像:毛皮を見せるアラスカの先住民