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『NOPE/ノープ』IMAX版@gcs。愛すべき超大作。好悪はっきり分かれるだと思うけれど、小賢しさしか感じられなかったジョーダン・ピール監督作品では一番好き。しかし、改めてIMAXで『ジョーズ』を観たくなりますな。クイントの幻影を背負ったマイケル・ウィンコット。映画に賭けるその心意気や良し。
レオス・カラックス『アネット』試写。ただただ唯一無二の圧倒的な映画体験。愚者や狂人としての道化の終焉。アダム・ドライバーは途方もない俳優だと改めて。
単にサングラスをかけるかけないという問題なのではない。そこにある「真実」を直視するのか、そこから目を背けた「無関心」のまま現実に飼い慣らされて生きるのかということ。無関心を変えるには長い死闘が必要だ。そんな実感を強くしたのは、今この現実が紛れもない『ゼイリブ』の時代だからこそ。
リドリー・スコット『最後の決闘裁判』@109シネマズ二子玉川。脚本、演出、俳優のすべてが非の打ち所のない傑作。闘争を追求してきた巨匠が、自らの原点といえる「最後の決闘」において、その核心にあるマチズモを抉り出し、完膚なきまでに粉砕してみせる。真に去勢され、声をかき消されたのは誰か。
『エセルとアーネスト ふたりの物語』試写。細部に至る記憶と想像力が示す愛情の深さ。普通や平凡という言葉で括れぬ厳粛な死の重み。レイモンド・ブリッグズの物語は、両親がこの世界に確かに存在していた証しだ。東日本大地震を「1人が死んだ事件が2万件あった」と評したビートたけしの言葉を思う。
『さらば愛しきアウトロー』試写。ただただ素晴らしい。去りゆく後ろ姿に残るのは微笑だけでいい。監督デヴィッド・ロウリーとケイシー・アフレックの眼差しには、その微笑と同じ慎ましさと敬愛の念がこもっている。年老いた少年の輪郭を縁取るシシー・スペイセクとダニー・グローヴァーの陰影も格別。
『ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ』試写。ゲシュタポに「ゲルニカ」はあなたの仕事かと問われたピカソはどう答えたか。この問答に芸術と政治の関係のすべてが集約されている。悪意と高慢、矜持とへつらいのキメラの如き混交。闇の美術史を案内するトニ・セルヴィッロの知性と憂愁が魅せる。
『私の20世紀』試写。素晴らしかった。光陰と音の交響と調和。懐かしさの中に秘められたエジソンの憂鬱と戻れ得ぬ悲しみ。心と体、男性性と女性性、実像と鏡像。今なお映画によってすべての二元論を瓦解させ、相互扶助のもとに進化へ導かんとする監督イルディコー・エニェディの気宇壮大な意志に感服。
「ちはやふる」3部作に現を抜かす三が日。声に耳をすませ、ことば=思いに賭け、ことばを託し、ことばをぶつけ、ことばに触れる。百人一首の持つ物語性や競技かるたの面白さが、視聴覚=身体性という映画の特性として存分に生かされた素晴らしい青春&スポーツ映画。作り手の希望と敬意と勇気に乾杯。
『ヴェノム』試写。『ゾンビランド』のルーベン・フライシャー監督作品ということで、『AKIRA』的な膨張と融合のぐちゃぐちゃ描写に目を見張りつつ、肩肘張らずに三枚目のトム・ハーディを楽しむ。トムハ&ヴェノム=ひろし&ピョン吉の『ど根性ガエル』のノリで。