しかしそんな覇気も次第に衰え、1339年に52歳で崩御
『太平記』は晩年の後醍醐天皇の心境を「骨は南山(吉野)にうずまったとしても、魂は京都の空を飛び回りたい」と表現
望郷の想いも空しく、稀代の天皇は京に戻ることなく吉野の苔にうずもれた
 

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本人のあまりにアグレッシブな行動力もあり「異形の王権」とも取られますが、反面近年では「形だけの模倣しか出来ない」とその特異性を否定する意見も出てきている
逃げ若での「行動力」の部分に着目しての「ベンチャー精神と上昇思考に溢れた男」評価が割と妥当かもしれない
 

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尊氏の後醍醐天皇愛は兎も角、後醍醐天皇への評価は「批判」から始まっている上、合理主義的な研究を進めるより前に様々なイデオロギーと結び付き複雑化してしまったことで、今度は「肯定」もしづらいというように非常に複雑な背景を持ちます
 

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じゃあここまで信奉していた尊氏って純愛じゃんね……
幕末には尊王攘夷思想が行き着き「足利は正当な皇統たる南朝に対する逆賊!」として「足利三代木像梟首事件」が起きましたが、尊氏に関しては完全に冤罪だと思う
義詮も南朝とは講和進めてたしなあ。義満?残当

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後醍醐天皇に好意的な意見が出始めるのが、戦後に公職追放された歴史家平泉澄が唱えた「皇国史観」からです
まあ皇国史観自体は極端な天皇至上主義のイデオロギーという厄ネタなんですが、逆に言うとここまで極端な思想に行き着くまで後醍醐を擁護する向きはなかったという
 

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狂信者である尊氏を除くと同時代からかなり批判的な意見が多いことに驚きます
水戸黄門こと徳川光圀が編纂した『大日本史』やそこから派生した尊王攘夷思想に繋がる水戸学は南朝に対して好意的ですが、大体が忠臣楠木正成に対するもので後醍醐帝自体は「悪王」扱いなのも凄い
 

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敵対した尊氏が実は後醍醐天皇を一番慕っていたと言われており、後醍醐天皇の崩御時には天龍寺を建立して大法要も行っている
これは祟り等を恐れての政治的な動きで特別おかしいことではないが、崩御100日目に尊氏が著した上記怪文書…もとい願文を見るに完全にキマッている
 

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『太平記』の中でも随一の謎である宗広の悪業暴露と地獄に堕ちた項目ですが、全体を見ると結論は「仏教を信じろ!」という宗教勧誘そのもので余計に怪しくなっています
最終的にスピらせることが目的としても、そのダシに結城宗広が使われた理由は全くもって不明。なんでだよ
 

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【Tips】結城入道堕地獄事
『太平記』で死後、突如シリアルキラーであることを明かされた結城宗広
その後、彼に由縁のある僧は謎の山伏の導きにより宗広が地獄で刑罰を受ける様を見せられたという
そのことは宗広の子の親朝に伝えられ、父を救うために供養が行われたという

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その後は直義派として師直と対立
畠山直宗と共謀して師直を執事から解任させ、さらに直義邸での暗殺を目論むも失敗
激怒した師直は続く御所巻で直義を失脚させて重能と畠山も出家して流刑に。その後流刑先で暗殺された
なお重能には実子がなく憲顕の子の能憲を養子にしている

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元は関東庇番六番組に所属の足利一門のエリート
建武の乱では九州落ちにも同行してますが『太平記』では尊氏のストッパー役として描かれる
特に尊氏が「帝と戦いたくない!出家する!」とほざいてた時に「出家しても許さん」とにせ綸旨を作成して騙したとか

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逃げ若武将名鑑【上杉重能】
足利兄弟の従兄弟で直義の腹心
藤原北家勧修寺家の出身で母方の伯父である上杉家の養子となったため、上杉憲顕との関係は厳密には義兄
建武の乱でも足利兄弟と共に付き従い、伊豆守護を経て直義の腹心に。しかし高師直との対立の末に暗殺される

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🏷𓈒𓏸︎︎︎︎失礼します!!!!
投稿をAI学習の際1回消しましたがこれからも投稿します!

ショタが好きな方は後悔させません🫶是非お友達下さい!!!
テスト後ゆっくり巡回します👍🏻 ̖́-︎

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「黄金のような君徳」足利尊氏(足利家棟梁)
「君臨すること太陽の如く、我らが仰ぎ見ること雲の如くの王者」足利尊氏(征夷大将軍)
「陛下の穏やかで優しいお言葉が今もなお我の耳の奥から離れず胸が苦しい」足利尊氏(自称後醍醐天皇の弟子)

オイ、怪文書止めろ!!

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「物狂の沙汰」三条公忠(公卿)
「皇室の恥」花園天皇(持明院統・先代天皇)
「武家の世の中でも作りたいのか?」北畠親房(側近)
「色々改善しないと職を辞します」北畠顕家(鎮守府大将軍)
「帝の依怙贔屓が大乱を招いた」足利直義(南朝・武将)
 

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歴史学者の意見も様々で書籍によって評価が180度変わってくる。歴史上最も両極端な評価の天皇でしょう
因みに本作の監修を担当されている本郷和人先生は「先代まで積み重ねた官僚や続いてきた徳政を台無しにした」として批判的
では同時代の人物の批評も見てみましょう
 

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劇中での道誉評のように「凡人や無能の気持ちがわからない」から想定外の事態に対応できず、師直評のように「先進的な政策もあるが無駄が多く現実に即さない」机上の空論のような施策の多さが建武の新政の弱点でしょう
天皇のワンマンでどうにか出来る時代じゃなくなっていた
 

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例えば雑訴決断所の「土地問題を審理と強制的な命令で解決する」のは正常な行政の在り方です
実際、高師直は執事施行状という「土地問題が起きたら武力で治める」暴のシステムを組み込み機能させた
ただ、朝廷には既にシステムを機能させるだけの武力も権威もなくなっていた
 

8 23

どの政策も共通しているのは進歩的な部分と反動的な部分が混在となっていることで、これらがどうしても噛み合わず机上の空論に終わったり、朝令暮改の政治になった要因でしょう
どれもやろうとしていることや仕組み自体は間違いではない部分があるのも複雑なポイント
 

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このような形で武士・貴族双方から疑念を持たれ始めた建武政権ですが、そんな中で大内裏を新築する為の増税や、新貨幣と紙幣の発行といった経済政策で更に不信感を強める事態に
紙幣発行は中国の政策の模倣で、中国密教マニアの帝ならではの発想でしたが大内裏新築と共に頓挫
 

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