2021/07/09
丹鉄 丹後由良駅
駅cafe Anne Shirley
食べに来てくださいね。



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【門谷墳墓群】
所在地:兵庫県豊岡市
弥生時代後期中頃の墳墓群である。標高20~40m程の尾根の全域に遺跡が広がっている。大型の埋葬施設に鉄器が多く副葬されている傾向がある。丹後・但馬で特有の墓壙内破砕土器供献も見られる。

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『花も団子も』
お菓子のことならなんでもお任せ! スイーツ探偵・丹後華美と猫のセバスチャンが繰り広げる、甘くてちょっとほろ苦いほのぼのミステリー!
⚠️本編の執筆予定はありません⚠️
 

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豊岡劇場さんのラインナップがヤバい。今月だけでも観たい作品ばかり。これ以外にも。そして来月以降も。地元の京丹後という田舎町に帰ってきて以来、となり町に豊劇さんという映画館があること、ほんとありがたいです。出来る限り、映画は映画館で観たいと思います。自分にとって、学びの場。

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【ニュースリリース】
地図でみる、千年の伝統を誇る都の歴史文化 『京都のトリセツ』を4月26日に発売

~丹後、丹波、宇治・・・京都市以外の各地が見せる魅力にもぜひ注目を!〜
詳しくはこちら→https://t.co/gpkLuFWe3g

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好評連載!福田知弘氏がユーモアを交えて都市や建築をご紹介【都市と建築のブログ Vol.53 丹後:龍】電車、路線バス、徒歩、遊覧船、あらゆる手段を尽くして丹後を丁寧に満喫。

https://t.co/fvNA4RsocQ

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今日は「囲まれた文殊さん」の稽古後に学習会がありました。
講師は京丹後市議の永井友昭さん。永井さんは僕の演じる健一の父親、昭彦(演じるのは大先輩葛西和雄さん)のモデルの方です。
京丹後と経ヶ岬通信所(米軍基地)のリアルをお聞きできました!
簡単にまとめるとバラ寿司は美味しい!(違

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前期(〜4/11)の出品作から。この屏風は丹後時代の代表作。不死薬と秦の始皇帝をめぐる伝説が描かれています。ぎこちなさを意識した筆運びに味わい深く、見ていると、人物が禅画っぽいとか、「拙」をよしとする文人画みたいとか、この絵の源について考えたくなります。とにかく、かっこいい絵です!

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…湯の洞温泉口(旧 美濃立花)/みなみ子宝温泉
●近畿日本鉄道…榊原温泉口(旧 佐田)/湯の山温泉(旧 湯ノ山)
●神戸電鉄有馬線…有馬温泉
●山陰本線…城崎温泉(旧 城崎)/玉造温泉(旧 湯町)/温泉津/川棚温泉
●京都丹後鉄道宮津線…夕日ヶ浦木津温泉(旧 丹後木津→木津温泉)

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玄蕃さんと丹後さん。玄蕃さんは外見年齢10ほど上げたい

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山陰道完走/
因幡、但馬、丹後、丹波

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「葛篭に入れたいほど寵愛してた嫁の父親、舅がガチで尊敬してた信長公を討った件について一言頂けますか」

細川忠興『可愛いからこそ離縁せずに丹後味土野という“葛籠”に閉じ込め、信長公を敬愛するからこそ髻を切り捨てて哀悼の意を示し、舅を敢然と非難したのだ。筋は通しておろう』

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『舅殿(光秀)の丹波攻略に従い、我が細川家も与力として丹後攻略に武勲を挙げたが、この時に信長公から“丹後は細川家にやるが、藤孝じゃなくてお前にやる”と言って下さったのが、嬉しくてなあ

 儂はその後終生、信長公の月命日が来るたび冥福を祈る事を忘れなかったほどだ』

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描き初め(と言っても仕上げだけですが)

先月の舞鶴イベント時にクルマで走り、とても良かった丹後由良駅から東へ出て最初の踏切。
雪国生まれなので雪掻きなんて二度としたくないと思いつつ、雪に埋もれた景色はどこか落ち着きます。丹鉄の車両も丸みがあって好きです。

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雨上がりの朝から…柔らかな日差しの京都府北部 です。
年末年始の雪マークが大きい…。元旦から雪かきけってだな。
今日も描き描き。#REDLINE のサントラ聞きながら。

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朝もはよからおはようさん!
宣言通りタンゴディスカバリー仕様にもしてみたよー!普通こっちからだけどね!!!!
ほぼ色変えただけだけど背景消さなきゃいけなくてめっちゃ時間かかったぜチキショー!!
あ、右に丹後の海置いときます(比較)
今回も感想などご自由に~

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噂の丹後由良観光大使、描かせていただきました!

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3~4ヶ月チマチマ打ってやっとでけた…
ドット絵で丹後の海という車両を鉄道擬人化したよー!!
学んだ技法やら取り敢えずぶちこんだぜ!ただ背景はまたもや適当グラデマン…
苦手な人はスルーしてくだせぇ!感想もご自由にリプしてくんろ



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朝から冷たい雨…降ったり止んだりの京都府北部与謝野町です。
来年の干支テイストな絵を描き描き。スケッチドクロも描き描き。

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江戸時代、「富士登山は庶民がするもの」で、「身分の高い」人物にはふさわしくないと考えられていた。そんななか、富士山へ登ることに憧れを抱いていた大名がいた。丹後国(京都)宮津藩藩主の本庄(松平)宗秀である。ようやく許可を得るも、許されたのは中腹までの登山だった。

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