倒幕後は雑訴決断所に勤務するなど建武の新政に加わりますが、中先代の乱に合わせての挙兵に同行し活躍
そのまま尊氏の新政への反逆に従うも、手越河原の戦いで敗北して新田義貞に降伏
しかし次いでの箱根竹ノ下の戦いでは足利軍に加わっているため偽装降伏とも言われている

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元は北条高時に仕えた御家人であり、その頃の名前は奇しくも生涯の盟友と同じく「高氏」
高時から一字賜ったものと見られ、高時が出家するとそれに倣って出家して「道誉」の法名を名乗ります
倒幕時の動向は不明。『太平記』では尊氏を焚き付けたとも書かれますが信憑性は皆無

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佐々木氏は宇多源氏を称した一族で平安末期から近江国を中心に栄えたため「近江源氏」とも呼ばれます
道誉はそんな名門佐々木氏…の庶流である京極氏のさらに傍流の出身
ですが本家の後継ぎが亡くなったことで養子として京極氏を継ぎました。そのため京極道誉表記の場合もある

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逃げ若武将名鑑【佐々木道誉】
南北朝稀代の腹黒策師にして元祖婆娑羅大名
暗躍が大好きなトリックスターで彼が寝返った際には何らかの策謀を張り巡らせてる可能性が高い
尊氏相手にも裏切る顔をしながら結局孫の代まで面倒を見続けたズッ友で在り続け逆の意味で裏切った

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信濃宮と呼ばれる本拠地大河原城に帰還後も抵抗しますが挽回できずそのまま吉野に帰還
『新葉和歌集』完成後の動向は定かではないですが、一説には信濃宮に戻りここを終の棲家にしたと言われています
南北朝動乱をよそに心穏やかな皇子は我を通して歌を詠み続けたのでしょう

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しかしその後の戦績は「君がため/世のため何か/をしからむ/捨てて甲斐ある/命なりせば(帝の為、世の為に命を惜しまず戦え!)」と勇ましい歌を詠み兵を鼓舞するも振るわず
南北朝の征夷大将軍の激突は北朝勝利に終わります
余談ですがこの歌は後に坂本龍馬が好んで引用する

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北朝の勅撰和歌集『風雅集』で自分が選考対象外だと知って憤る辺り、最早立場を忘れてる気がしないでもないが観応の擾乱に乗じる形で挙兵
征夷大将軍に任じられ「まさか余が弓を身に付ける立場になるとはな」という和歌を詠みつつ、時行や義興を動員した大勢力で鎌倉を占拠
 

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かなりの苦難に遭っており、歌の中でも悲哀を滲ませてるのに割と余裕そうに見えるのは、間違いなくこの和歌キチとも言える性格故でしょう
香坂高宗に保護されて信濃に逗留してからは「心穏やかに過ごせてる」と語り京の歌仲間とも連絡を取り合うなど和歌エンジョイ生活を満喫
 

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遭難後は自ら刀を振るう程の窮地に立ちますが、井伊家に助けられて再び井伊谷に潜伏
父の死を聞いて哀しみ和歌を詠み、後を継いだ弟の後村上帝と和歌でやり取りし、井伊谷が陥落する際にも和歌を書き残し、漂流しながらも和歌を詠み……
和歌詠みすぎじゃない!?

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倒幕に失敗して配流先の隠岐でも和歌を詠んでましたが、幕府滅亡に際して天台座主として復権
南北朝に割れると還俗して伊勢に滞在後は井伊谷に潜伏。顕家の進軍に合わせて合流するも般若坂の敗走で吉野に入ります
顕家戦死後の再編成で東国配置になりますが遭難して遠江に漂着

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兄の護良親王から引き継ぐ形で天台座主となり、後醍醐帝の倒幕計画に必要な僧兵を集める
それはそれとして挙兵前に『古今和歌集』の写書をしており、本人はかなりマイペースな趣味人です
むしろ父に似ず控えめな性格で政敵の花園上皇にも「親がアレで可哀想」と同情されている

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逃げ若武将名鑑【宗良親王】
後醍醐天皇の第四皇子
和歌が大好きでいついかなる時でも和歌を詠んでいた物腰柔らかな皇子
流浪の末に信濃は大鹿村の大河原城を拠点として挙兵するが、それはそれとして和歌は詠む
准勅撰和歌集『新葉和歌集』の撰者で和歌集『李花集』の著者

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おはモーニング٩( 'ω' )و
亜也子ちゃん可愛いので
描きもすた✏️

アナログ模写🖼️

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あずきちゃん
イナズマイレブン
ゴールデンカムイ
魁!!クロマティ高校
太陽の牙ダグラム
ダロス
チェンソーマン
デジモンアドベンチャー
逃げ上手の若君
ファブル
ホームムービーズ
ラーメン赤猫

10個に出来ませんでした💧
鬼滅も追加で

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二期制作おめでとうございます‼️夏に祝ってみたよ✌️(^ω^)✌️

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謎シチュ雫
亜也子も描きたいね

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